上原と阿部の関係 感動は理屈を超えた先に/コラム

日本シリーズ第5戦 西武対巨人 2回表巨人1死、中越えに同点ソロ本塁打を放った阿部慎之助(左)は先発上原浩治らベンチのナインの祝福を受ける(写真は2008年11月6日)

 【前回】08年11月3日、東京・立川。巨人-西武の日本シリーズ移動日にレッドソックス上原浩治投手(41=当時巨人)と食事をした。帰り際、上原が「そういえば、慎之助は間に合わないのかなぁ」とつぶやいた。

     ◇◇     

 閉店時間が過ぎた。店の厚意で、番茶をすすりながら再び根を張った。阿部はリーグ連覇を決めた10月10日、右肩を脱臼。シリーズは代打での出場に甘んじていた。私が「常識的に厳しいんでしょうね」と言うと、上原は即座に、鋭い口調で「DHがあるだろうが」と言った。「DHがあれば大丈夫だな」。言い聞かせるように反すうした。

 「慎之助の打撃は本物だから。アイツは本当に、天才なんだから。バッテリーを組んで9年か。9年も組めば、勝つこともあれば、オレの調子が悪くて負けることもある。配球が裏目にいって、悔しい思いをすることもある。勝負だから仕方ない。でも、慎之助の打撃は間違いがない。『ここ』っていう時、必ず打ってくれる。違う?」

 「これやろ」。上原が立ち上がった。左で構え、少しバットを寝かせ、小刻みに揺らす。右足の裏を見せるようにスッと上げ、優しく下ろして振る。無表情で一塁に歩き出し、小またでトコトコ駆ける。阿部の打撃を形態模写してみせた。長いこと見てきただけに似ている。笑いに転化できる「細かすぎる」精度なのに、何かしんみりした感じになり、「もう帰ろ」と別れた。

 西武ドームでも阿部のスタメン出場はなく、打線の決め手を欠く巨人は、やや押される形の2勝2敗と苦戦していた。上原は11月6日、中4日で第5戦に先発した。所沢名物、グラウンドに向かう長い階段がある。勝てば短く、負ければうんと長く感じる。ぶら下がりたい気持ちはやまやまだったが、先発当日の投手には声をかけない不文律がある。

 軽く会釈して見送ると、すぐ後ろから阿部が歩いてきた。険しい顔をしている。振り込んできたのだろう、左肩で担いだバッグにはバットが2本、刺さっている。一緒に歩くことにした。「上原、最後だね」「ですね」「キャッチャーは無理かな」「…」。3日前のやりとりを話した。「まねしてたよ。そっくりだった」。阿部は軽口に取らなかった。右肩をさすりながら言った。

 「ドームに戻ればまた代打。今日しかない。打つのは問題ないけど、投げることができないんです。上原さんとバッテリーを組めない。涌井は難しい。けど自分が打って、今日は勝ちます」

 5番指名打者に入った。2回の第1打席、初球。涌井の吹き上がる144キロ。上原が模写したフォームでしばき上げた。西武ドームは打球音がよく響く。本物のジャストミートとは、俗に言う「乾いた音」ではない。05年にカブレラが放った180メートル弾は、ボールが破裂するような鈍い音がした。阿部が奏でた同質の鈍い音は、ホームランを確約していた。

 試合後の上原は「ほら、打っただろ。バックスクリーンやで」と、珍しく上気していた。私は阿部の打球音を聞いた瞬間、記者席で「よし」と叫んだ。後にも先にも職場であんな声を出したことはない。冷たい視線を一身に浴びたが、無意識に声は出るものなんだ、と初めて知り、驚いた。

 阿部は「ファーストストライクは絶対に振るつもりだった」と言った。自分の状態と涌井の状態をてんびんにかけ、一振りに懸け、仕留めた。上原のために打ったわけではない。ただ最高の技術は、上原が心に育んできた阿部との背景を揺さぶって払い、心のひだまでむき出しにした。感動は理屈を超えた先に存在する。【宮下敬至】