ムッシュかまやつさん後追い死 妻他界から数日後に

16年12月、堺正章(右)の70歳記念ライブに飛び入りで登場したムッシュかまやつさん

 グループサウンズ「ザ・スパイダース」のメンバーとして一時代を築いた歌手ムッシュかまやつさん(本名・釜萢弘=かまやつ・ひろし)が1日午後6時5分、膵臓(すいぞう)がんのため都内の病院で死去していたことが2日、分かった。78歳。東京都出身。通夜、葬儀は近親者で営む。後日、お別れの会を開く予定。喪主は長男のミュージシャンTAROかまやつ。かまやつさんの妻も、夫の亡くなる数日前に死去していた。

 長髪にニット帽がトレードマーク。ひょうひょうとした語り口で、世代を超えた音楽ファンに愛されたかまやつさんが、長い闘病の末に逝った。都内の自宅マンションには生花が届けられ、遺体は都内の別の場所に安置されたとみられる。

 関係者によると、今年1月10日に体調を崩して都内の病院に入院。当初は食欲もあったものの徐々になくなり、約2カ月の入院生活の末に、親族らにみとられて息を引き取った。苦しむことはなく、おしゃれなかまやつさんらしく、大好きなニット帽をかぶっていた。この数日前には、同じく長い闘病生活の末に、妻も亡くなっていた。

 最初に体調を崩したのは15年秋だった。黄疸(おうだん)が出たので病院で検査をすると、膵臓がんと判明。昨年5月の検査では肝臓がんが見つかった。通院治療をしたが、8月には脱水症状を起こして病院に緊急搬送された。9月に「肝臓がん」の病名を発表した際には「絶対に復活するから心配しないでください」とコメント。再起を誓っていた。

 10月に退院してからは、いとこの歌手森山良子(69)宅に身を寄せながら通院治療を行った。12月には堺正章の70歳記念ライブに飛び入り参加。スパイダースのヒット曲「サマーガール」をデュエットして、元気な姿を見せた。この日、堺は「先月に自宅に遊びに来て、大好きなカレーうどんを食べた。病気は良い方向にいっているみたい」と話していた。

 1939年(昭14)に、日本ジャズ界の草分けであるティーブ・釜萢の長男として生まれた。青山学院高在学中からカントリー&ウエスタンの学生バンドを結成。米軍キャンプでの演奏を中心に活動をした。

 60年代にはザ・スパイダースのメンバーとして活躍。かまやつさんが作曲した「あの時君は若かった」「バン・バン・バン」「ノー・ノー・ボーイ」などが大ヒット。グループサウンズブームをけん引した。70年に解散をした後はソロ歌手として活躍。75年には吉田拓郎(70)が作詞作曲した「我が良き友よ」が大ヒット。TBS系連続ドラマ「時間ですよ」などでは俳優としても活躍した。

 最近は10代のメンバーらとファンクバンド「LIFE IS GROOVE」を結成するなど、精力的に音楽活動を行ってきた。生前には、音楽のことを「不老長寿の薬みたい」と話し、長く第一線で活躍するこつを「好きなんでしょうね。ライブをやっていないと調子悪いんだ」と語っていた。

 音楽は世代や時代、分野を超えて愛される。そのことを体現した78年の生涯だった。

 ◆ムッシュかまやつ(本名・釜萢弘=かまやつ・ひろし)1939年(昭14)1月12日、東京都生まれ。父は日本ジャズ界の草分け的存在のティーブ・釜萢。青山学院高時代に、カントリー&ウエスタンの学生バンドを結成、米軍基地を中心に活動。60年代前半に「ザ・スパイダース」に加入、ギターとボーカルを担当。解散後はソロで活動。99年、堺正章と結成した「ソン・フィルトル」でNHK紅白歌合戦に出場。TBS系ドラマ「時間ですよ」シリーズ、同局系「ビートたけしの学問のススメ」などにも出演。歌手森山良子はいとこ、長男TAROかまやつはミュージシャン。