【清水咲衣<中>】高所恐怖症を克服し挑んだペア 「さえルカ」2年で知った「宿命」

日刊スポーツ・プレミアムでは、毎週月曜日にフィギュアスケーターのルーツや支える人の信念に迫る「氷現者」をお届けしています。

シリーズ第66弾は清水咲衣(20=同志社大)が登場します。繊細なスケーティングや豊かな表現力を武器に、23年からはペアとシングルで活躍。25年にペア解消後は、再びシングルに転向し、新たな技の習得にも意欲的に取り組んでいます。

全3回の中編では、シングルに加えて、本田ルーカス剛史とのペア「さえルカ」として活動した2年間を振り返ります。(本文敬称略)

フィギュア

◆清水咲衣(しみず・さえ) 2005年(平17)8月10日、大阪市生まれ。4歳でスケートを始め、全日本ノービス選手権には15年から4年連続で出場し、15年31位、16年18位、17年25位、18年8位。全日本ジュニア選手権は20年16位、21年13位、22年11位。23年1月の全国高校選手権(インターハイ)6位。23年5月に本田ルーカス剛史とのペア「さえルカ」結成を発表し、2年連続で世界ジュニア選手権に出場。25年4月にペアを解消し、シングルに再転向。趣味は料理、神社巡り。身長155センチ。

演技する同志社大・清水咲衣(26年1月)

演技する同志社大・清水咲衣(26年1月)

高所恐怖症で「絶対無理」からペアへ転向

目の前で、講師のブルーノ・マルコットが手招きしている。

「ここを持っておいてね」

おそるおそる近づいた清水は、言われた通りにその手を持つ。その瞬間、身体がひょいと浮き上がる。「怖い。死にそう」。気づけば、身体はマルコットの頭上にまで持ち上げられていた。

ジャングルジムに上るのも苦手で、高層ビルでは窓際に立つこともできないほどの高所恐怖症。下を見ると、鼓動が早くなる。

「下を見たらダメ。前を見て」

下の方から聞こえてくる言葉に、ゆっくりと目線を上げてみる。すると、それまでの恐怖心がすっと失せて、目の前に広がる見慣れない景色に心を奪われた。

トライアウトに参加した清水咲衣(左)とブルーノ・マルコット・コーチ(本人提供)

トライアウトに参加した清水咲衣(左)とブルーノ・マルコット・コーチ(本人提供)

「小柄だったので、濱田(美栄)先生から『ペアやってみたら?』ってずっとお誘いいただいてたんですけど、高所恐怖症だったので「絶対無理」と思ってずっと踏み切れなかったんです。でも、リフトを上げてもらってそれまでの『怖い』と思っていた感覚とはちょっと違う感覚になって『あれ?意外といけるかも』と思いました」

2023年4月。「体験してみよう」という軽い気持ちで挑んだトライアウトではあったが、これをきっかけに興味も増幅。以前から知り合いだった本田ルーカス剛史との相性の良さに、連盟からも「この2人なら今季から大会に出ていける」とお墨付きをもらい、すぐに結成を決断した。

「ルーカスくんはずっと紳士っていう感じで、すごく優しかったです。はじめは結構、物事を決めるときに2人とも『どうする?』みたいな感じで。練習も『どうする?次何する?』みたいな感じで進めていて、2人だけで練習するのは難しかったですけど」

ペアに関してはともに初心者な上に、日本にはコーチもいない。どんな練習をすれば技に繋がるかも分からず、男女で鍛えるべき部分も違うため、練習も手探り状態。幼少期はリーダー気質だった清水でもさすがに司令塔にはなりきれなかったが、キャシー・リードや「ゆなすみ」の森口澄士らの力も借りながら地道に練習を積み、同年8月には木下トロフィー争奪大会(木下アカデミー京都アイスアリーナ)で初演技も披露した。

ペアを結成した清水咲衣(上)と本田ルーカス剛史(本人提供)

ペアを結成した清水咲衣(上)と本田ルーカス剛史(本人提供)

ペア解消

2023-24年シーズンには、初の国際大会となるババリアンオープンで世界ジュニア選手権出場に必要なミニマムスコアを獲得。1シーズン目にして世界ジュニア選手権で14位に入り、翌シーズンにはジュニアグランプリ(GP)ファイナル5位、世界ジュニア選手権11位などと国際舞台で活躍。だが、その裏で、清水の胸中は揺れていた。

「24年の全日本ジュニアの前くらいに肩が抜けて、そこからスロージャンプがうまくタイミング合わなくなったりとか、怖くなったりとかして…」

本田の腰痛の影響で、24年11月上旬の西日本選手権を欠場。同月中旬からは練習を再開できたが、今度は同11月の全日本ジュニア選手権の前に清水が左肩を脱臼。同12月下旬の全日本選手権のフリーでも、肩を脱臼した。

恐怖心が影響したのだろうか。無自覚にスピードを緩めたり、変に力が入ってしまったり、と、呼吸がずれていくことが増えていく。

「怖がってた方が危ないから」

普段は温厚なキャシーの語気も荒くなる。だが、自信を失うたびに、さらにタイミングが合わなくなってくる。スロージャンプだけは毎日のようにミスが起きてしまう状況が続いた。克服の糸口は一向に見つからないが、時間は残酷で、シニア国際大会デビュー戦となる冬季アジア大会は、刻一刻と迫ってくる。ミニマムスコアを獲得すれば世界選手権にも出場できる重要な大会ということもあって重圧も増していく中、大会1~2週間前に、清水の口からネガティブな言葉がこぼれ落ちた。

「もうできないかも」

カナダ・オンタリオ湖リフレッシュする清水咲衣(本人提供)

カナダ・オンタリオ湖リフレッシュする清水咲衣(本人提供)

ペアをやめたいー。その告白に、本田は驚いた様子だったが、清水の疲弊した気持ちを感じ取ってくれたのだろう。「咲衣ちゃんがそう言うなら仕方ない」とうなずいてくれた。ただ、出場が決まっている試合だけは滑りきるということを約束して。

「そこから気持ちを切り替えて調子を上げることができたんですけど、結局世界ジュニアが終わって来シーズンに向けてどうするかと考えたときに、やめるという選択になりました」

世界ジュニア選手権後も時間を取って2人でじっくりと話し合ったが「怖さを乗り越えない限りどうしようもない。ルーカスくんが何かすることもできないし、もう仕方ない」という結論にいたった。

2年間活動した「さえルカ」ペアの終焉。

「オリンピックを目標にしていたので(スランプがなければ)続けていたと思います」

想像していた輝かしい未来はぐにゃりとゆがみ、本田はペアを継続、清水はシングルに再転向するという別々の道を選んだ。

ペア挑戦で見つけた「宿命」

2025-26年シーズンからシングルに専念する形となったが、ペア挑戦で得られたものは確実にある。一番は、遠征で海外に触れる機会が増えたことだ。

23年春。カナダでの合宿に参加したときのこと。初めて海外選手とともに練習した清水は、彼らの表現の豊かさに衝撃を受けた。普段から表情も豊かで、リアクションも大きい。それが、氷の上でも存分に発揮されていた。シャイだから-。伸び伸びと舞う姿を見ていると、そんな姿勢はスケーターとしてもったいないような気がした。

カナダの合宿で知り合ったフィオナ・ボンバルディエ(右)と写る清水咲衣(本人提供)

カナダの合宿で知り合ったフィオナ・ボンバルディエ(右)と写る清水咲衣(本人提供)

「(海外選手の演技を)テレビでは観ていたんですけど『上手な選手』とひとくくりで観ていて、あまり自分と同じ世界にいる人っていう実感がなかったというか。ただすごい人という感じで観ていたんですけど、実際に触れることで『同じ立場なのにこんなに違うんだ』と思って心に響きました。『これを吸収したら、上手な選手に近づくのかな』と思ったりして、点数というより宿命みたいなものを感じて『スケートをしているんだったら、私もこれくらい表現しないといけない。もっと大げさにしよう』と思うきっかけになりました」

表現力を高める。それが、スケーターとしての「宿命」として胸に刻まれた。

そして、その覚悟は2年という期間の中でも、確かに演技にも表れていた。「ゆなすみ」の長岡柚奈から「2人のスケートとか表現の仕方がマッチしていて。見ていてすごいいい表現力だなとか、いい滑りをするなとかって。穏やかな気持ちになる感じがするなって思っています」と言われるくらいに、「さえルカ」らしい表現は確立できていた。

「シングルの影響をペアに、ペアの影響をシングルにと、お互いにいい影響をもらいました。いろんなことをたくさん吸収できた期間で、本当に充実した期間を過ごせたなと思います」

ペアで養った力は清水の血肉となり、シングルとして活動する今も、演技の礎として脈打っているはずだ。

インタビューを受ける清水咲衣(撮影・前田充)=2026年5月27日

インタビューを受ける清水咲衣(撮影・前田充)=2026年5月27日

スポーツ

竹本穂乃加Honoka Takemoto

Osaka

大阪府泉大津市出身。2022年4月入社。
マスコミ就職を目指して大学で上京するも、卒業後、大阪に舞い戻る。同年5月からスポーツ、芸能などを取材。