【森保一監督の聖地巡礼〈後編〉@長崎】頑張っても国見に勝てぬ歯がゆさ…退学願提出

「長崎から世界へ」。日本代表の森保一監督(57)にとって3度目となるFIFAワールドカップ(W杯)北中米大会が迫っている。コーチとして1度、監督として2度目の大舞台。歴代最多103試合を指揮し、勝率は約7割を維持する名将の原点「ポイチの原風景」を前後編でお届けする。後編は高校卒業まで過ごした長崎での日々について。当時を知る人々に聞いた。

サッカー





日本代表森保一監督(右)と幼なじみで立ち飲みぽいちの店主を務める樋口紀彦さん

日本代表森保一監督(右)と幼なじみで立ち飲みぽいちの店主を務める樋口紀彦さん

長崎日大卒業後「もうハジメくんでよか」


森保監督が生まれたのは静岡県掛川市。ただ小学1年から定住した長崎が、今も実家がある「故郷」だ。

長崎市内で居酒屋「ぽいち」を営む樋口紀彦さんは、森保監督と実家が「2軒先」の幼なじみ。「ハジメくん」と呼んで物心つく頃から一緒に遊んだ。

「昔から優しかったです。弟の洋(現日本デフサッカー男子育成代表監督)も含めてよく遊びました。家の前にある広場で野球もした。性格はまじめで、よかアニキという感じです。面倒見が良くて後輩からは慕われていた。尊敬しています」。

小中高と1学年上の「ハジメくん」を追ってサッカーを続けた。本格的に森保監督がサッカーを始めた小学6年からは、君付けではなく、「森保さん」と呼ぶように。ため口ではなく敬語で話すようになった。森保監督が長崎日大を卒業してから「もうハジメくんでよか」と言われたという。「真意は分かりませんが、気軽にフランクに、ということだと思いました。昔のように」。


立ち飲みぽいち。入り口には「試合中」の看板が

立ち飲みぽいち。入り口には「試合中」の看板が

立ち飲みぽいちに飾られている森保監督のサイン

立ち飲みぽいちに飾られている森保監督のサイン

念願立ち飲み店の店名「ぽいち」快諾


高校卒業後は先輩―後輩の関係性というよりは、幼なじみの間柄に戻った。現在も交流は続く。18年8月23日、脱サラして夢だった立ち飲み店を開業する。その年の1月に樋口さんは森保監督に愛称の「ぽいち」を使っていいかと相談。快諾された。オープンには花も届いた。「サンフレッチェ広島の監督1年目で優勝してこの人は〝もっている〟なと思ったから」と店名の由来を明かした。


店主の樋口さんが「お宝」と話すメダル

店主の樋口さんが「お宝」と話すメダル

22年W杯の「お宝」コイン


22年W杯カタール大会では多くの客と森保ジャパンの躍進を見届けた。店内には、日本代表のユニホームや森保監督の直筆サインがずらり。樋口さんが「お宝」といってあるコインを見せてくれた。表面に「FIFA WORLD CUP QATAR 2022」、裏面に「PARTICIPANT FINAL COMPETITION」(写真)と記されている。

「これはW杯で決勝トーナメントに行ったチーム関係者にだけ配られるメダルだそうです。ハジメくんがくれました」

ファンが楽しめれば、と森保監督が樋口さんに渡したという。貴重な品を自分で持つのではなく、故郷の幼なじみに授け、日本のサッカー文化が広がることを願ったのだ。


長崎日大時代の同級生、松岡丈治さん

長崎日大時代の同級生、松岡丈治さん

熱い「猛獣」の面倒見た「調教師」兼「超教師」

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スポーツ

佐藤成Sei Sato

2019年入社。高校野球の埼玉県担当後、文化社会部に配属。社会班として、常磐自動車道あおり運転事件や埼玉県知事選などを取材。
11月から芸能班に配置転換で、放送担当に。日本テレビ、TBSを受け持った。事務所はワタナベエンターテインメントやホリプロ、吉本興業など。
23年5月にスポーツ部へ異動。サッカー班として川崎フロンターレ、湘南ベルマーレ、A代表、U-23日本代表、なでしこジャパンの担当となる。24年1月アジアカップカタール大会、パリオリンピックなど取材。血液型B。