【ブルーペナント特別編】新人森保一少年はずばぬけた身体能力なかったが「賢さ」鮮烈

「ブルーペナント」。

その存在を知っている人はどれほどいるでしょうか。

サッカー日本代表選手が初めて国際Aマッチに出場した際に「育成年代に特にお世話になった指導者を申告」し、記念となるペナントを作成して贈るものです。

日本サッカー協会(JFA)が「育成年代の指導者への敬意として」行っている日本代表・育成指導者表彰制度。

この「ブルーペナント」を追う本企画では日本代表選手の恩師を取材しルーツをたどってきましたが、今回は特別編として日本を世界最速で26年ワールドカップ(W杯)北中米大会に導いた森保一監督(57)の過去を追いました。

話を聞いたのは、日本の指揮官が日本リーグ(JSL)のマツダ(現サンフレッチェ広島)に加入した当時の先輩選手で、コーチやスカウトを歴任した中村重和氏(67)。森保監督をはじめとした周りから「シゲさん」と慕われ、現在は大阪国際大で監督を務める中村氏に、マツダ時代の森保監督がどんな選手だったのかを明かしてもらいました。

サッカー

25年から大阪国際大で指揮を執る中村重和監督

25年から大阪国際大で指揮を執る中村重和監督

◆中村重和(なかむら・しげかず)1958年(昭33)7月30日、長崎・島原市生まれ。島原商高、大阪商大に進み、81年にマツダに加入。91年の引退と同時にコーチに就任し、スカウトなどを歴任。サンフレッチェ広島の下部組織の環境づくりにも力を注ぎ、ジュニアユースやユースの監督も務めた。高萩洋次郎、駒野友一といった日本代表選手のスカウト、育成にも携わった。その後、アビスパ福岡の監督や強化部長、V・ファーレン長崎の育成強化部長、徳山大監督を経て、25年から大阪国際大の監督に就任。

広島で長く時間をともに「18歳から大変お世話に」

25年から大阪国際大で指揮を執る中村重和監督

25年から大阪国際大で指揮を執る中村重和監督

中村と森保は、マツダの先輩後輩として知り合い、その後は別部門となりながらも広島で長く時間をともにした関係。森保は「シゲさん」について、このように話している。

「サッカーにおいても人生においても大先輩で、もういろんなことを教えてもらいましたね。シゲさんは同じ長崎出身ということもあって、私は18歳から大変お世話になりました。オン・ザ・ピッチもオフ・ザ・ピッチも、一人前になるためにいろんなことを教えてもらいました。お酒の付き合いでは、なかなか強くならず、追い付けなかったですけど(笑い)。特に大人のコミュニケーションの取り方はすごく教えてもらった。恐れ多くて先輩とも言えないぐらいですけど、本当にお世話になりました。ビシバシと、ピッチ内でもピッチ外でも鍛えていただきました(笑い)」

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スポーツ

永田淳Jun Nagata

Aichi

1980年(昭55)9月9日、愛知県生まれ。小3でサッカーを始める。法大卒業後、商社、フリーランスのサッカーライター、商社、外資系半導体メーカーでの勤務をへて、23年4月に日刊スポーツ新聞西日本に入社。日本サッカー協会B級ライセンス保有。日本アンプティサッカー協会技術委員長。X(旧ツイッター)は@j_nagata