【旗手怜央手記】川崎F優勝 苦しいときに救われた鬼木監督と小林悠の言葉

川崎F対浦和 前半、ボールを奪い合う川崎F旗手(中央)(撮影・江口和貴)

<明治安田生命J1:川崎F1-1浦和>◇第34節◇3日◇等々力

川崎Fの東京五輪代表FW旗手怜央(23)が、日刊スポーツに手記を寄せた。FW登録ながらサイドバック(SB)に中盤、ウイングとさまざまなポジションで献身し、連覇に大きく貢献した。夏にはともに五輪を戦ったMF三笘薫(24=サンジロワーズ)と田中碧(23=デュッセルドルフ)が欧州へ移籍。主力が抜けたチームを背負う重圧と結果が出ない悔しさから、今季初めて2戦連続で引き分けた8月の広島戦(Eスタ)では、試合後のベンチで涙を流した。旗手の肩の荷を下ろしたのは、鬼木達監督(47)とFW小林悠(34)の言葉だった。

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去年に比べて、充実したシーズンを過ごせていると思います。インサイドハーフ、SB、ウイングとあらゆるポジションで出て、出場時間や試合数は大幅に増えました。去年は「ああ、優勝したな」という感じだったけど、今年は、少しは優勝に貢献できたのかな。

去年SBをやったとき、「前線で生き残れないからSBをやらされているのでは?」と、僕としては結構屈辱的でした。今季序盤もSBをやったけど、不慣れな割には自分の良さを出せたと思います。4月のケガから復帰後は前線のインサイドハーフになり、うれしかったけど、このチームの中盤は勝敗を握るので、最初は緊張したのを覚えています。今でも毎試合「何か爪痕を残さないと」という思いでいっぱいで、安堵(あんど)は全くないです。

夏に碧(田中)や薫(三笘)がいなくなった後は、「次こそは僕がプレーで引っ張りたい」と思っていた中で、うまく結果が出ませんでした。今だから言えるけど、2位の横浜がついてきて、メンタル的にも難しい時期だったと思います。「あの2人がいなくなったから勝てなかった」とか、「あの2人がいなかったから優勝できなかった」と言われるのは、すごく嫌です。サッカーは11人が頑張るからこそ勝利が手に入るし、誰か1人がチームを勝たせられるような甘いスポーツではありません。

4位で終わった東京五輪後、麻也さん(日本代表DF吉田)が「メダリストとオリンピアンは全然違う」と言っていました。3位と4位は紙一重だけど、全く違う。1試合に勝つことの重要性、1試合に勝つことの難しさを五輪で学んだので、チームの結果が出ない悔しさがありました。

2試合連続で引き分けた8月の広島戦後、ホテルでオニさんと話しました。シンプルに「勝ちたい。このチームで優勝したいし、それに貢献したい」と思いを伝えたら、オニさんは「あの2人がいなくなって、多少なりとも背負いすぎていた部分があった。結果が出ないのは、お前のせいじゃなくて俺のせいだ」と言ってくれました。悠さん(小林)も「背負いすぎることじゃない。優勝争いをする上でそういう(泣いている)姿を見せると、相手や2位の横浜にも『あ、これ行けるんじゃないか』と思わせちゃうよ」と声をかけてくれました。僕では考えられないようなことを言ってくれて、「チームを背負ってきた選手は落ち着いているな。僕みたいな若造がチームを背負っている場合じゃないな」と思いました。2人の言葉に、すごく救われたところがあります。

その後はあの頃ほど「自分が、自分が」とはならず、自分で行くところは行くけどうまく人を使えているので、あの一言が今の僕を支えてくれていると思います。チームもシーズン序盤は内容でも圧倒する時間が長かったけど、東京五輪後の難しい試合をこなしてからは、勝負強さが出てきたと思います。難しい時間は長くなったけど、誰ひとりバラバラにならず、みんながチームの勝利に徹している実感があります。

日頃から見ていると、試合に出ている選手も出ていない選手も、現状に満足せず「結果を残したい、もっと上に行きたい」という思いで練習して、その状態で試合に挑んでいます。みんなの向上心が、チームの強さを保っているのかな。僕も「今のポジションで出ているから大丈夫」とは思っていないし、控えているのはすごい選手ばかりです。そこに強さの理由があるかは分からないけど、気持ちの部分は少なからずあるんじゃないかなと思います。(川崎フロンターレFW)

◆旗手怜央(はたて・れお)1997年(平9)11月21日生まれ、三重県出身。FC四日市ジュニア-FC四日市-静岡学園-順大を経て20年に川崎F入団。J1リーグ通算58試合9得点。171センチ、70キロ。父浩二さんは、高校野球の名門PL学園で桑田&清原の1学年上の遊撃手として春、夏の甲子園でともに準優勝に輝いている。

 

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