<明治安田生命J1:川崎F1-1浦和>◇第34節◇3日◇等々力
川崎フロンターレが2年連続4度目のJ1制覇を決めた。
浦和レッズ相手にCKの流れからDFジェジエウが先制したが、後半44分に失点し1-1で試合終了。同時刻キックオフだった2位横浜F・マリノスがガンバ大阪に敗れたため、昨季と並ぶ最速タイの4試合を残してリーグ優勝が決まった。川崎Fを率いて5季目の鬼木達監督(47)は、日本代表の森保一監督(53)らを抜いて、監督史上最多4度目の優勝を飾った。
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引き分けを告げるホイッスルから約2分、等々力は歓声に包まれた。ピッチ中央には、客席の反応から横浜の敗戦を察した選手の輪ができあがった。小さな輪には続々と選手、スタッフが加わり、だんだんと大きくなった。秋晴れの空と同じ水色のユニホームが肩を組み合い、歓喜に沸きながらくるくると回った。
連覇の難しさは「研究されること」にある。今季の始動日、鬼木監督は「(大切なことは)タフであり続けられるか。相手の対策やフィジカルが気にならないくらい圧倒しないと、このサッカーで勝っていくことは難しい」と話した。2月の合宿ではほぼ毎日2部練習を行い、過密日程のシーズンを乗り切る基盤を築いた。チームには「現状維持は衰退の始まり。さらに成長させていく」と何度も強調した。MF脇坂も「キャンプの段階から『対策ありき』で準備していたのが大きい。対策されるのは当然で、それをどう戦っていくかが大事だと思っていた」と振り返る。
夏前までは絶好調で、2位横浜との勝ち点差は最大で21あった。MF田中とMF三笘が移籍した東京五輪明けは、9戦3勝と苦しんだ。エースFWレアンドロ・ダミアンは、自身のスパイクにマジックで「MITOMA 18」「AO TANAKA 25」と2人の名前を書いた。FW小林は4試合ぶりの白星を挙げた8月の札幌戦で、「フロンターレはまだ死んでいない」と力強いメッセージを残した。誰もが必死だった。
6月から9月にかけては、過酷なアウェー15連戦を戦った。シーズン2度の海外遠征で、隔離期間は家族と会えない日々が続いた。過密日程でけが人が続出し、下部組織の選手を練習に呼んだこともあった。韓国に乗り込んだACLベスト16では、隔離先での夕食がカップ麺とフリーズドライおこげのみだった。
その試合でPK戦の末に敗退した後はすぐ関空に降り立ち、中2日でアウェー徳島戦、鹿島戦と、練習場を転々としながら国内を飛び回った。めったに弱音を吐かない鬼木監督が、取材に「みなさんが想像しているより結構疲労はある」と漏らすほど苦しかった。
ACL敗退後、鬼木監督は徳島戦からのリーグ戦を「勝負の5連戦」と位置づけた。今季一番の正念場を3度の逆転勝ちなど全勝で駆け抜け、公式戦7連勝を果たした。チームの雰囲気から、指揮官は「行ける」と感じていた。「隔離状態でも毎日楽しくて、選手の表情もすごくよくて、全員『やってやろう』という感じがあった。練習時間が長くなってもみんな文句を言わず、タフになってきた。1時間過ぎたらみんな時計を見ていたのが懐かしい」と笑って振り返る。
何度も食い下がって、泥臭く勝ち点3を積み上げた。理想的な勝ち方ではないかもしれないが、就任5季目の鬼木監督は、理想だけでは勝てないことを知っている。「今までは自分たちのサッカーで相手をねじ伏せたいと思っていた。それは今も変わらないけど、『違う強みを出していけるんだ』という頭を持てるようになってきた」と話す。
指揮官は言う。「去年はどちらかというと、爆発的な力を発揮する試合が多かった。今年は我慢比べで勝ち続けることで、最後までチームが崩れずにいられる。簡単じゃないときに崩れないのが、今のチームの強さだと思う」。苦しんだぶんまたひとつ、違う強さを手に入れた。【杉山理紗】
◆鬼木達 おにき・とおる。1974年(昭49)4月20日、千葉県生まれ。市船橋から93年に鹿島入りし、川崎Fでもプレーした後、06年に引退。川崎Fでコーチなどを歴任し、17年から監督を務める。