小栗大地(37=三進化学工業)は6位に終わった。3回の滑走でベストタイムを競う種目で、1回目は1分0秒16、2回目は転倒でコースアウト。最終滑走で58秒47とタイムを上げて意地は見せたが「いいところがなく、悔しい。まだまだ実力が足りない。練習も足りない」と絞り出すように言った。

 14のバンク(傾斜)が連続するコースは、小雪が舞う冷え込みでアイスバーンのように固まっていた。その前半4番目のバンクをクリアできなかった。不得手なつま先重心の右ターンで、3回ともバランス崩して転倒。完走した1、3回目もタイムを大きくロスした。12日のクロスではスタートゲートの故障で1回余分に滑り、再レースまで40分以上も待たされる不運もあって7位。2種目で目標としていた表彰台には上がれなかった。

 小学5年でスノーボードを始め、ニュージーランドなどへ海外留学を繰り返しながら25歳でプロになった。アルペンレーサーとして活躍したが、競技からの収入だけでは生活は苦しく、パチンコ店などのアルバイトで生計を立てた。30歳で引退し、地元・名古屋の鈑金加工会社、三進化学工業に就職。事故が起こったのは13年8月、32歳の時だった。作業中に重さが数トンの鉄板が右足に落下し、膝上から切断せざるを得なかった。

 小栗は振り返る。「救急車で搬送される時、片足になったら、また一からスノーボードに挑戦できるんじゃないかって思ったんです。意外なほど冷静でした。人が経験できないことを経験できる。チャンスだと思いました」。2カ月の入院生活で2度の手術を受けたが、3カ月で職場に復帰し、4カ月後にはボードに乗った。14年ソチ大会で、スノーボードがアルペンスキーの1種目として実施されたこともモチベーションになった。

 16年からW杯に参戦し、着実に実績を積み上げて4年半で目指した舞台に立った。ウエアの右膝から下をカットして義足を出して滑るのは「障害があっても、義足でも、やればできるんだ」というアピールでもある。「パラリンピックの雰囲気を味わえたことが収穫。また新しいチャレンジをしたい」。不屈のスノーボーダーの心に、新たな炎がともった。