【THE GAME〈2〉1994年8月21日:オリ3―2西武】連発の「鈴木一朗」

プロ野球の担当記者は、オープン戦などを合わせると年間3分1ほどスコアブックと向き合って、取材をします。人間関係の下地を踏まえて見るからこそ、何げなき試合が忘れられない試合に昇華します。(2020年5月1日掲載。所属、年齢などは当時。敬称略)

プロ野球

鈴木からイチローへ登録変更。万国共通となった愛称の発案者は仰木監督だ=1994年4月7日

鈴木からイチローへ登録変更。万国共通となった愛称の発案者は仰木監督だ=1994年4月7日

2軍から登用

平成も残り少なくなった19年3月21日、マリナーズの一員として東京ドームで現役を引退した〝天才ヒットマン〟イチロー。日米、多くの監督の下でプレーしたが恩師について聞かれると必ず「仰木さんですね」と口にする。

仰木彬。近鉄、オリックス、そして両者の合併球団オリックスで指揮を執り「パ・リーグの広報部長」とも呼ばれた。相手をかく乱する采配から取った「マジシャン」の異名がぴったりくる人物だった。

試合中に負傷したイチローの左ほおを気遣う。親子に近い絆を育んだ=1996年10月2日

試合中に負傷したイチローの左ほおを気遣う。親子に近い絆を育んだ=1996年10月2日

プロ入り2年間、2軍暮らしが多かった自分を、監督に就任すると同時に1軍の主力選手にしてくれた。その恩義に感じ、イチローは起用に応えた。

仰木オリックス1年目の94年に、いきなり210安打。当時の安打数新記録をマークした。安打数そのものが注目されていなかった時代を変え、今なお続く「イチロー伝説」を生み出した。

一緒にラジオ出演。一路真輝、後に伴侶となる福島弓子アナと=1996年1月23日

一緒にラジオ出演。一路真輝、後に伴侶となる福島弓子アナと=1996年1月23日

当然、仰木とイチローの関係は深まった。それを象徴する試合が94年8月21日のオリックス―西武戦だったと思っている。

取材歴30年を超える〝アラカン〟記者。
社会ネタから始まって吉本興業から宝塚歌劇の芸能取材、野球ではイチロー日本一(1996年)近鉄劇的優勝(2001年)星野阪神V(2003年)緒方カープ連覇(2017年)など数々の瞬間に立ち会ってきた。
日刊スポーツ大阪本社編集委員。