【THE GAME〈3〉1996年7月21日:パ7―3セ】ノムさんvs仰木監督

二刀流という概念もなかった26年前、イチローの球宴登板は議論を呼びました。全セを率いた野村克也監督が「失礼だ」と批判。まさかの当事者となった大打者は、発案者の仰木監督を守るべく、事態を収めにかかります。(2020年5月2日掲載。所属、年齢などは当時。敬称略)

プロ野球

9回、全パ勝利まであと1人という場面で球宴のマウンドに立ったイチロー。全セの野村監督は松井秀喜の代打に高津臣吾を送り、二ゴロでゲームセット

9回、全パ勝利まであと1人という場面で球宴のマウンドに立ったイチロー。全セの野村監督は松井秀喜の代打に高津臣吾を送り、二ゴロでゲームセット

第3戦の富山説…東京Dで遂行

野球ファンで、オリックス時代のイチローが球宴で登板したことを知らない人はいないだろう。オリックス監督だった仰木彬とイチローの関係性を象徴する出来事。球史に残る名場面には、舞台裏の面白さもあった。

愛工大名電時代は投手だったイチローがプロで登板する。210安打で一気に注目を浴びた94年、日刊スポーツでその可能性を独自ネタとして掲載した。仰木はじめ関係者は否定せず、その実現がいつになるのかが注目されることになった。

球宴で場外戦となった両監督は前年、日本シリーズで対戦。徹底したイチロー封じが功を奏し、ヤクルトが4勝1敗で日本一に=1995年10月20日

球宴で場外戦となった両監督は前年、日本シリーズで対戦。徹底したイチロー封じが功を奏し、ヤクルトが4勝1敗で日本一に=1995年10月20日

機運が高まったのが96年の球宴前。95年に「がんばろう神戸」でリーグ優勝して全パ監督となっていた仰木が、オリックス担当記者ににおわせた。

取材歴30年を超える〝アラカン〟記者。
社会ネタから始まって吉本興業から宝塚歌劇の芸能取材、野球ではイチロー日本一(1996年)近鉄劇的優勝(2001年)星野阪神V(2003年)緒方カープ連覇(2017年)など数々の瞬間に立ち会ってきた。
日刊スポーツ大阪本社編集委員。