【香川伸行さんを悼む】42年前自主トレ写真から伝わる…少年少女に愛されたドカベン
「香川伸行さんが亡くなった。紙面の構成が大きく変わるから」。8年前の9月26日、横浜スタジアムで会社からの電話を受けました。巨人のリーグ3連覇が決まろうかという、ゲーム終盤の電話…V紙面が大きく縮小となることを意味していました。すぐに納得できたのは、香川さんの存在感を自分なりに理解していたから。誰からも愛されたドカベンの急逝を、命日に振り返ります。(2014年9月27日掲載。所属、年齢などは当時)
プロ野球
◆香川伸行(かがわ・のぶゆき)1961年(昭36)12月19日、徳島県生まれ。浪商から79年ドラフト2位で南海入団。捕手だけでなく86年には三塁手としても21試合に出場。89年に引退した。現役通算714試合、460安打、270打点、78本塁打、打率2割5分5厘。現役時代は170センチ、100キロ。右投げ右打ち。
浪商(大阪、現大体大浪商)、南海、ダイエーで活躍し「ドカベン」の愛称で親しまれた香川伸行(かがわ・のぶゆき)氏が26日午後、心筋梗塞のため福岡県朝倉市の甘木中央病院で急死した。52歳。徳島県出身。葬儀等の日程は未定。同県朝倉郡の自宅で倒れているところを家族が発見。救急搬送されたが帰らぬ人となった。
闘病をジョークに
こんなに早く別れがくるとは思わなかった。最後に香川さんに会ったのは昨年末、本紙企画の取材でのこと。
「わざわざお前が、博多に足を運んでくれるんやもんな。なんでもしゃべったるわ」
久しぶりだったが、いきなり目の前で「おれ、何度も死にかけたんや」と打ち明けられてたじろいだ。
2日に1回の人工透析に、急性心不全、大腸ポリープ切除、軽い脳梗塞…。毎日のように病院通いで、亡くなったこの日も透析治療を終えたばかりだったという。

福井県出身。大阪体育大学体育学部から日刊スポーツ大阪本社に入社。
プロ野球をはじめ、野茂英雄の米大移籍から現地に派遣されたメジャーリーグ取材の草分け的存在。WBC、五輪など国際大会、球界再編の取材にも関わった。
一方で、ミニストップ社と「大人のスイーツ」、オリジン社と「不規則な記者が、規則正しい弁当を作る」をコンセプトに共同開発した商品を全国発売した異色派。各界に人脈、ネットワークが豊富で、テレビ、ラジオ出演も多数。趣味は歌舞伎など舞台鑑賞。