「最後の打席」を優しく見守るアンパイアは弁護士 東大野球部卒の溝内健介氏/連載2
明大対立大の第1回戦が行われた1925(大14)年から、東京6大学連盟は2025年に創設100周年を迎えます。日本最古の大学リーグとして、アマチュア野球界を長くけん引してきました。歴史に携わってきた人々を追う「東京6大学 100年物語」。第2回は選手としてプレーし、マネジャーも経験。現在は審判員として携わる弁護士、東大OBの溝内健介審判員(48)に思いを聞きました。(文中敬称略)
その他野球
弁護士と審判のセットで
――審判を目指したきっかけを教えてください
溝内野球については父(法政二の監督、部長を務めた建三氏)の影響が強く、父親の姿を見てずっと育ってきました。野球に関わり続けたいという思いはありましたが、東大法学部を卒業後にどういう方法があるのか、分かりませんでした。
何年生の頃か、東大野球部の大先輩である清水(幹裕)さんが弁護士をしながら6大学や甲子園、都市対抗の審判をされていると知りました。そういう野球への関わり方があると知って、意識をし始めましたね。
――弁護士を目指すことが先ではなかったんですね
溝内そうですね。弁護士と審判のセットで意識をしました。
――清水さんと知り合った経緯を教えてください
溝内マネジャーとしての活動の中で交流がありました。弁護士をしながら審判をされている方がいると、そこで知ったと思います。
(審判は母校の公式戦を基本的に担当しないため)審判と母校の選手は意外と接点が少ないのですが、私はたまたまマネジャーを務めていました。控室では日常会話もありますので、いろいろなお話を聞かせていただき、優しく丁寧に接してくださる人柄にもひかれました。
――弁護士を目指してから、司法試験に向けた勉強をされたんですね
溝内野球部での4年間が終わった後、ゼロから司法試験の勉強を始めました。ですので(合格まで)時間がかかってしまいました。
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