迷った羽生結弦が勇気をもらった 震災直後のセンバツで「全力」貫いた東北高の仲間

東日本大震災によって自問自答し続ける言葉が増えました。「自分だけ、いいのだろうか…」。東北出身の羽生結弦選手も、当時東北総局に在籍していた筆者も同じでした。あれからどれだけ時が経っても、東北と被災者に対する思いは変わりません。熱い思いがゆえの推察も含めて、羽生選手と東北高野球部、そして筆者が交錯するコラムです。(2021年3月11日記載。所属、年齢など当時)

フィギュア

羽生結弦(2020年2月9日撮影)

羽生結弦(2020年2月9日撮影)

1182字のメッセージ

東日本大震災の発生から10年が経過しました。出身の仙台市で被災したフィギュアスケート男子の羽生結弦選手(26=ANA)は当時、宮城・東北高1年生。自宅は全壊と判定され、避難所となった近隣の学校では、わずか2畳に満たないスペースに家族4人で身を寄せ合いました。あの揺れの後、雪が降った寒さと、頻発する余震に体を震わせながら。

10年後、羽生選手は冬季五輪(オリンピック)2連覇を遂げ、金メダルの光を沿岸部や福島第1原発の被災地に届ける存在になりました。世界で最も強くなるため仙台を離れ「申し訳ない」と思った日も。一方で復興支援や寄付を継続的に行っており、今年は11度目の「3・11」を前にコメントを寄せました。

何を言えばいいのか、伝えればいいのか、分かりません。

あの日のことはすぐに思い出せます。

この前の地震でも、思い出しました。10年も経ってしまったのかという思いと、確かに経ったなという実感があります。オリンピックというものを通して、フィギュアスケートというものを通して、被災地の皆さんとの交流を持てたことも、繋がりが持てたことも、笑顔や、葛藤や、苦しみを感じられたことも、心の中の宝物です。

何ができるんだろう、何をしたらいいんだろう、何が自分の役割なんだろう

そんなことを考えると胸が痛くなります。

皆さんの力にもなりたいですけれど、あの日から始まった悲しみの日々は、一生消えることはなく、どんな言葉を出していいのかわからなくなります。

でも、たくさん考えて気がついたことがあります。

この痛みも、たくさんの方々の中にある傷も、今も消えることない悲しみや苦しみも…

それがあるなら、なくなったものはないんだなと思いました。痛みは、傷を教えてくれるもので、傷があるのは、あの日が在った証明なのだなと思います。あの日以前の全てが、在ったことの証だと思います。

忘れないでほしいという声も、忘れたいと思う人も、いろんな人がいると思います。

僕は、忘れたくないですけれど、前を向いて歩いて、走ってきたと思っています。

それと同時に、僕にはなくなったものはないですが、後ろをたくさん振り返って、立ち止まってきたなとも思います。立ち止まって、また痛みを感じて、苦しくなって、それでも日々を過ごしてきました。

最近は、あの日がなかったらとは思わないようになりました。それだけ、今までいろんなことを経験して、積み上げてこれたと思っています。そう考えると、あの日から、たくさんの時間が経ったのだなと、実感します。こんな僕でもこうやって感じられるので、きっと皆さんは、想像を遥かに超えるほど、頑張ってきたのだと、頑張ったのだと思います。すごいなぁと、感動します。数えきれない悲しみと苦しみを、乗り越えてこられたのだと思います。

幼稚な言葉でしか表現できないので、恥ずかしいのですが、本当にすごいなと思います。

本当に、10年間、お疲れ様でした。

10年という節目を迎えて、何かが急に変わるわけではないと思います。

まだ、癒えない傷があると思います。

街の傷も、心の傷も、痛む傷もあると思います。

まだ、頑張らなくちゃいけないこともあると思います。

簡単には言えない言葉だとわかっています。

言われなくても頑張らなきゃいけないこともわかっています。

でも、やっぱり言わせてください。

僕は、この言葉に一番支えられてきた人間だと思うので、

その言葉が持つ意味を、力を一番知っている人間だと思うので、言わせてください。

頑張ってください

あの日から、皆さんからたくさんの「頑張れ」をいただきました。

本当に、ありがとうございます。

僕も、頑張ります

2021年3月

羽生結弦

1182字。

熟考したことが、読み進めるほどに分かる文章ですが、思ってしまいました。文字数にも意味があるのでしょうか、と。

スポーツ

木下淳Jun Kinoshita

Nagano

長野県飯田市生まれ。早大4年時にアメリカンフットボールの甲子園ボウル出場。
2004年入社。文化社会部から東北総局へ赴任し、花巻東高の大谷翔平投手や甲子園3季連続準優勝の光星学院など取材。整理部をへて13年11月からスポーツ部。
サッカー班で仙台、鹿島、東京、浦和や16年リオデジャネイロ五輪、18年W杯ロシア大会の日本代表を担当。
20年1月から五輪班。夏は東京2020大会組織委員会とフェンシング、冬は羽生結弦選手ら北京五輪のフィギュアスケートを取材。
22年4月から悲願の柔道、アメフト担当も。