【全日本開幕企画〈上〉鍵山優真の言葉】「どうしても出たい!」初めて父を押し切った

I’m Back-。2月の北京オリンピック(五輪)フィギュアスケート男子で、日本史上最年少メダル(個人銀、団体銅)を獲得した鍵山優真(19=オリエンタルバイオ/中京大)が帰ってきます。

今週の全日本選手権(21~25日、大阪・東和薬品ラクタブドーム)で約9カ月ぶりに実戦復帰。7月末に痛めていた左足首は「疲労骨折寸前」で、グランプリ(GP)シリーズ全休に追い込まれました。

想像以上に長引いた人生初の長期離脱。その間、何を思い、どう過ごしていたのか。本人がインタビューで明かした近況を「鍵山優真の言葉」でお届けします。

フィギュア

<9カ月ぶり実践復帰、インタビューで心境を聞いた>

12月7日、練習を公開した鍵山優真(愛知県豊田市の中京大学豊田キャンパスにて)

12月7日、練習を公開した鍵山優真(愛知県豊田市の中京大学豊田キャンパスにて)

左足首「疲労骨折寸前」でGP全休

――(7日の)公開練習を振り返って。復調具合は何%か

鍵山 80%ぐらいですかね。もう動ける状態にはあるので、今日やった練習内容(4回転サルコーやトリプルアクセルに成功。フリー曲かけ等)を基本的に毎日やっているんですけど、あまり数はこなせていないので。1本1本、集中してやっている感じです。

――あらためて、長く戦列を離れた。その間、近況も我々は分からなかった。まず負傷箇所の痛みを初めて感じたのはいつか

鍵山 7月に東京でアイスショー(プリンスアイスワールド)があったんですけど、そこで本格的に左足が痛くなってしまって。一時的なものだと思っていたので「少し休んだら治る」と思っていたんですけど、表面的な痛みではなく完全に中(内部)だったので。念のためMRIを撮って確認しようと思っていたら、結構ひどい状態で。自分はそれに全然気付かず、やっていたので。何かのきっかけがあったわけではなく、今までの積み重ねで。でも慢性的な痛みが重なったものなので、仕方なかったので、めちゃくちゃ落ち込んだりとかはなかったです。

――昨季全休した紀平梨花選手のように、骨に線(亀裂)が入った状態か

鍵山 いえ、そういう線はなかったんですけど(医師から)「疲労骨折の寸前だったよ」と。「これ以上の無理をしたら危ないよ」と。それで休むしかないかなと。人生で一番の痛み。変な痛みでした。

――痛みを感じた時の詳細を

鍵山 アイスショーって朝、練習時間があるんですけど、そこで全くジャンプが跳べない、痛すぎて「ヤバい」と。痛みに気付いてから無理しない形でショーには出させていただいたんですけど、終わって次の日ぐらいにMRIを撮りに行って。グダグダ我慢していても現状が分からないと、どうしようもない。検査を受けて、どうしようか決めようと思いました。

12月7日、練習を公開した鍵山

12月7日、練習を公開した鍵山

初めは数週間程度で治るかと…甘かった

――まず日米欧3カ国対抗「ジャパンオープン」だけ欠場し、GPシリーズに間に合うか模索したのか

鍵山 いま思えば、かなり無理な考えだったなと思うんですけど…。正直なところ、当時は本当に何も分からない状態だったので「数週間あれば治る」「最低でも痛みはなくなる」かなと思っていました。実際、そんな甘いものではなく数カ月単位の治療が必要な、けがでした。認識がすごく甘かったなと思います。負けず嫌いな性格が、結果としては悪い方向に出てしまったというか、そんな感じです。

――氷に乗らなかった期間はどれほどか

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スポーツ

木下淳Jun Kinoshita

Nagano

長野県飯田市生まれ。早大4年時にアメリカンフットボールの甲子園ボウル出場。
2004年入社。文化社会部から東北総局へ赴任し、花巻東高の大谷翔平投手や甲子園3季連続準優勝の光星学院など取材。整理部をへて13年11月からスポーツ部。
サッカー班で仙台、鹿島、東京、浦和や16年リオデジャネイロ五輪、18年W杯ロシア大会の日本代表を担当。
20年1月から五輪班。夏は東京2020大会組織委員会とフェンシング、冬は羽生結弦選手ら北京五輪のフィギュアスケートを取材。
22年4月から悲願の柔道、アメフト担当も。