【カナリア軍団の挑戦】帝京出陣「怒鳴られてやる」「蹴って走る」は昭和の話〈2〉
高校サッカー界の超名門、帝京(東京)が13年ぶりの選手権出場を懸けて戦っている。選手権で戦後最多タイの6回の日本一に輝く「カナリア軍団」は、今夏の総体で準優勝。復活への戦いは、15日の東京都予選3回戦・保善戦からスタートした。高校サッカー取材歴40年、帝京の黄金時代を知る荻島弘一記者による密着ドキュメントの第2回。
サッカー
〈サッカー取材歴40年荻島記者が密着:第2回〉
選手権予選の大事な初戦、選手間で修正し大勝
ボールがタッチラインを割ると、主将のFW伊藤聡太がUー19日本代表候補の左サイドバック、入江羚介に駆け寄った。
負傷から半年ぶりに先発復帰したレフティーとポジションや他の選手との連携を確認。この後、左サイドの攻撃はよりスムーズになった。
15日に駒沢第二球技場で行われた選手権東京都2次予選のAブロック3回戦。帝京は保善に5-0と勝利して、選手権へのスタートを切った。
目立ったのは、ピッチ上での選手同士の話し合い。選手間の距離や動き方、パスの出し方、細かい部分まで確認した。
15年に就任した監督の日比威(たけし)は、ほとんどベンチを立たない。試合前やハーフタイムの指示以外は、ベンチの端で戦況をじっと見つめた。
大差だったからではない。プリンスリーグで接戦の場面でも、ベンチで声を荒らげることはない。「プレーするのは、選手ですからね」と淡々と話した。
14年にコーチとして指導を始めた日比が、最初に驚いたのが「選手たちが自分で考えないし、動かないこと」だった。
監督やコーチの指示を待って動く。「自主性がないんです。これではダメだと思いました」。
もっとも「僕らも同じでした」とも言った。
古沼貞雄監督に率いられ、主将として選手権に優勝したのは31年前。「監督に言われて動いた」のは「怒られるのが怖かったから」と笑う。
当時は普通のことで、多くのチームがそうやって強くなっていった。ただ「時代が違う」と日比は言う。
1984年入社。スポーツ部でサッカー、五輪などを取材し、1996年からデスク、日刊スポーツ出版社編集長を経て2005年に編集委員として現場に復帰。