バレー特集〈1〉関田誠大「伸ばさないと、全部」頂点あと1歩、その距離を埋める戦い

間違いなく、世界のトップに近づいている。バレーボール男子日本代表のことである。昨秋の世界選手権では東京五輪金のフランスとフルセットの激闘。届かなかったのは、あと1点-。6月に開幕するネーションズリーグ、24年パリ五輪予選を兼ねた今秋のW杯バレーを前に、日本が誇るセッター関田誠大(29)に聞いた。独占インタビューの第1回。

バレーボール

【バレー日本代表キーマン独占インタビュー/第1回】

日本代表セッター関田誠大。「「負けたらセッターのせいと言われる。そういう世界」

日本代表セッター関田誠大。「「負けたらセッターのせいと言われる。そういう世界」

関田誠大(せきた・まさひろ)

1993年(平5)11月20日、東京都江東区生まれ。小学1年の頃から東金町ビーバーズで競技を始める。駿台学園中、東洋高と全国制覇を経験。中央大では4年時に主将を務め、15年全日本大学選手権で優勝し最優秀選手(MVP)に選出された。パナソニックパンサーズから堺ブレイザーズ、クプルム・ルビン(ポーランド)を経て22年夏にジェイテクトSTINGSへ。21年東京五輪代表。指高224センチ、最高到達点324センチ。175センチ、71キロ。

昨年9月王者追い詰め「勝ったな、そう思ってしまった」

あの残像は、今でも脳裏に刻まれている。

2022年9月5日、ミラノから北東へ500キロほどの位置にあるスロベニアの首都リュブリャナ。

1991年に起きた十日間戦争で独立して以降は政治、経済において同国の中心となる街で、日本は世界選手権に臨んでいた。

8強進出をかけた決勝トーナメント初戦の相手は、世界ランク2位(当時)で21年東京五輪金メダルのフランスだった。

勝負の行方はフルセットまでもつれた。

先にフランスがマッチポイントを迎え、日本は石川祐希の得点などで15-14とする。

あと1点-。

サーブは日本。

しかも、打つのはエースの石川だった。

その瞬間、さまざまな思いが浮かんでは消えていく。

まだ試合は終わってはいなかった。

あの時のことを、関田はよく覚えている。

「勝ったな、と。そう思ってしまったんです。

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編集委員

益子浩一Koichi Mashiko

Ibaraki

茨城県日立市生まれ。京都産業大から2000年大阪本社に入社。
3年間の整理部(内勤)生活を経て2003年にプロ野球阪神タイガース担当。記者1年目で星野阪神の18年ぶりリーグ制覇の現場に居合わせた。
2004年からサッカーとラグビーを担当。サッカーの日本代表担当として本田圭佑、香川真司、大久保嘉人らを長く追いかけ、W杯は2010年南アフリカ大会、2014年ブラジル大会、ラグビーW杯はカーワンジャパンの2011年ニュージーランド大会を現地で取材。2017年からゴルフ担当で渋野日向子、河本結と力(りき)の姉弟はアマチュアの頃から取材した。2019年末から報道部デスク。
大久保嘉人氏の自伝「情熱を貫く」(朝日新聞出版)を編集協力、著書に「伏見工業伝説」(文芸春秋)がある。