バレー特集〈2〉西田有志が語った謎の病と、支えてくれた古賀紗理那との出会い、結婚

パリ五輪を目指すバレーボール男子日本代表にとって、西田有志(23)は欠かせない存在である。昨年末に原因不明の病でチームを離脱。そして、女子日本のエースで主将の古賀紗理那との出会いから結婚。今、明かされる真実とは-。独占インタビューの第2回。

バレーボール

【バレー日本代表キーマン独占インタビュー/第2回】

22年10月、Vリーグ開幕記者会見。西田(中央右)と古賀(同左)は隣同士で並んでいた

22年10月、Vリーグ開幕記者会見。西田(中央右)と古賀(同左)は隣同士で並んでいた

西田有志(にしだ・ゆうじ)

2000年(平12)1月30日、三重県いなべ市生まれ。3人兄姉の末っ子。母美保さんに連れられて生後5カ月で初めてバレーボールに触れ、5歳で三重の大安バレーボールスポーツ少年団に入団。大安中から進んだ海星高ではインターハイに1度出場も、春高バレーは三重予選決勝で2年連続で敗れ出場できず。17-18年シーズンからジェイテクト入団。高校卒業間もない18年春に中垣内監督率いる日本代表入りした。19年W杯では4位に貢献し、ベストサーバーとベストオポジットに選ばれた。ベスト8入りした東京五輪に出場後の21年夏にイタリアのヴィボ・ヴァレンツィアへ。翌22年6月にジェイテクト復帰。同年12月31日に古賀紗理那との結婚を公表した。好きな歌はブルーハーツの「人にやさしく」。186センチ、87キロ。

昨年11月チーム離脱…23歳若きスターに何が

深刻な状況だということを、当時は明かされていなかった。

昨年11月、西田は所属するVリーグ男子のジェイテクトが本拠とする愛知を離れ、神奈川に滞在していた。

「正直、バレーどころではなかったです。

もう、今シーズンは戻るのは無理なのかな、と。そう思っていました。

体調が一向に良くなることはなかったんで。

入院しないといけないような症状でしたけど、既に受ける検査は全てやっていた」

ジェイテクトの公式ホームページに「西田有志選手についてのお知らせ」とする文面が掲載されたのは昨年11月10日のことだ。

短い文章には、こう記されている。

「西田有志選手につきまして、現在、試合出場に向けコンディションを整えている状況であることをご報告申しあげます。

また試合に出場できる時期がまいりましたら、改めてご報告させていただきます」

10月末にシーズンが始まったばかり。

開幕から3試合はスタメン出場していた西田の名前が突如、消えたのは第4節の堺ブレイザーズ戦(10月30日)だった。

公になっていたのは「コンディション不良」ということだけ。

つい2カ月前-。

世界選手権では日本の中心にいた。

石川祐希、高橋藍らとともに。

彼らは日本バレーボール界のスターであり、2024年パリ五輪への希望でもある。

シーズン中に原因不明の病に冒され、バレーボールから離れざるを得なかったという事実。

これは、来年のパリ五輪で日本にメダルをもたらすであろう西田の病との戦い。

そして、それを支えてきた古賀紗理那との記録である。

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編集委員

益子浩一Koichi Mashiko

Ibaraki

茨城県日立市生まれ。京都産業大から2000年大阪本社に入社。
3年間の整理部(内勤)生活を経て2003年にプロ野球阪神タイガース担当。記者1年目で星野阪神の18年ぶりリーグ制覇の現場に居合わせた。
2004年からサッカーとラグビーを担当。サッカーの日本代表担当として本田圭佑、香川真司、大久保嘉人らを長く追いかけ、W杯は2010年南アフリカ大会、2014年ブラジル大会、ラグビーW杯はカーワンジャパンの2011年ニュージーランド大会を現地で取材。2017年からゴルフ担当で渋野日向子、河本結と力(りき)の姉弟はアマチュアの頃から取材した。2019年末から報道部デスク。
大久保嘉人氏の自伝「情熱を貫く」(朝日新聞出版)を編集協力、著書に「伏見工業伝説」(文芸春秋)がある。