【バレー高橋兄弟連載〈4〉】藍の日本一と塁が流した涙~母の願い「一緒に全日本へ」
バレーボールのパリ五輪男子日本代表の高橋藍は、兄に追いつき追い越そうとしていた。高校は同じ東山に進み、2020年1月の全日本高校選手権(春高バレー)で頂点に立つ。その光景を見た塁は涙を流した。それは嬉し涙だけではなく、複雑な感情が入り交じった涙だった。(隔週月曜掲載、敬称略)
バレーボール
第5話は7月22日(月)掲載
弟に抜かれた日
兄の涙の真実~
2020年1月12日。日曜日の東京は曇り空であった。
予報では昼すぎから小雨がぱらつくという。
バレーボールの全日本高校選手権大会は東京・調布市の武蔵野の森総合スポーツプラザで開催され、その日は大会最終日だった。
男子の決勝戦は京都の東山と、東京の駿河台学園の顔合わせになった。
初優勝を目指し1回戦から登場した東山は、前橋商、山形南、東亜学園、東福岡に勝って4強入り。
準決勝では前年夏のインターハイを制した松本国際を破って、最終決戦まで駒を進めた。
母の小百合、日大に進んでいた兄の塁も会場に駆けつけた。
高校の3年間、塁は春高の舞台に立ててはいなかった。
当時は後に日本代表になる大塚達宣を擁する洛南が、東山の前に立ちはだかっていた。
藍が日本一になれば、それは高橋家にとっての悲願。家族は祈るような思いで、その試合を見ていた。
あの日から4年もの歳月が流れた。
母と塁にインタビューをしたのは、京都駅に隣接するホテルの喫茶室。2人はソファに並ぶようにして座っていた。
「兄がエースで、弟はずっとレシーバーで拾い続けてきたんです。
そっち側(兄と同じエース)に行けるのかな? ずっと、藍はそんな思いでやってきたんやと思います。春高で優勝して、あの子の人生は変わりました」
静かな口調で母はそう言った。あの頃を思い出していたのだろう。
そして、隣で聞いていた塁が言葉を絞り出した。
「あの試合を会場で見ていて、3セット目くらいから泣いていました。涙が止まらなくなった。いろんな感情がありましたね。
悔しい-。初めてそう思いました」
その涙を、テレビの映像が映し出していた。
それは、弟がエースとして、東山を初の日本一へ導いたことへの嬉し涙だと、誰もがそう思っていた。
いつしか、兄弟はライバルになっていた。
弟に追いつかれ、追い越された日のことを、兄は忘れない。
今、明かされる素直な胸中を描く。
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茨城県日立市生まれ。京都産業大から2000年大阪本社に入社。
3年間の整理部(内勤)生活を経て2003年にプロ野球阪神タイガース担当。記者1年目で星野阪神の18年ぶりリーグ制覇の現場に居合わせた。
2004年からサッカーとラグビーを担当。サッカーの日本代表担当として本田圭佑、香川真司、大久保嘉人らを長く追いかけ、W杯は2010年南アフリカ大会、2014年ブラジル大会、ラグビーW杯はカーワンジャパンの2011年ニュージーランド大会を現地で取材。2017年からゴルフ担当で渋野日向子、河本結と力(りき)の姉弟はアマチュアの頃から取材した。2019年末から報道部デスク。
大久保嘉人氏の自伝「情熱を貫く」(朝日新聞出版)を編集協力、著書に「伏見工業伝説」(文芸春秋)がある。