【バレー高橋兄弟連載〈1〉】公園の鉄棒をネットにして練習した幼少期~塁と藍の物語
幼い頃から兄の背中を追い続けてきた。兄が始めたバレーボールを、弟もやるようになる。公園の鉄棒がネット代わりだった。いつしか弟は兄に追いつき、先に全日本入りを果たす。高橋塁と藍(らん)。今年からサントリーサンバーズでチームメートになる。兄弟の絆を描く「塁と藍の物語」-。
(隔週月曜掲載、敬称略)
バレーボール
「塁と藍の物語」第2話は6月10日(月)掲載
~初めの1歩~
追いかけた背中
〈プロローグ〉
1月の京都は底冷えの寒さに見舞われる。
20世紀最後の年として、新年が幕を開けてすぐ。
高橋家に待望の第一子が誕生したのは、2000年1月14日のことだった。
ミレニアムベビーとして3704グラムでこの世に生を受けた男の子を、両親は「塁」と名付けた。
活発な子は、初めて育児をする母を困らせた。
「壮絶でした」
そう言って母の小百合はクスッと笑った。
まだ赤ん坊だった塁は、夜になっても寝なかった。
「ずっと起きている子でした。朝までですよ。5時になると玄関まで行って『行くで』みたいなしぐさをするんです。睡眠とか食欲より、外で遊びたい子でした」
朝日が昇る頃。ほとんど寝る間もなく、公園に連れて行っては遊ばせた。
塁の誕生からほどなくして、母は第2子を身ごもった。
21世紀を迎えた翌2001年。まだ残暑の残る9月2日に3534グラムで生まれたのが次男の藍だった。
父は高校時代、野球に打ち込んでおり、左投げ左打ちのエースで4番だった。
京都駅に隣接するホテルの喫茶室。外の雑踏とはまるで違う世界のように、静かな時間が流れていた。
母の隣の席には、長男の塁が座っている。
30年以上前の記憶をたどることからインタビューは始まった。
「球場にはスカウトが来ていたそうです。自称ですけどね」
そう言って母はまたクスッと笑いながら、上品そうにアイスコーヒーをひと口飲んだ。
「男の子が2人できて、自然と野球をやるんだと思っていたんです。子供たちが生まれるまで、やっていましたから。
野球をさせようと思って『塁』と、ホームランの『藍』という名前にしたということになっていますけど、本当はそうではないんです」
2人が生まれた時、両親はバレーボールで日本を代表する選手になろうとは想像もしていなかった。
幼い頃から、兄の背中を追いかけていた弟。
いつしか弟は、兄に追いつくようになり、そして先に全日本の中心選手になった。
そしてこれから先、兄にも続く夢がある。
この物語は切磋琢磨しながら、一流のアスリートになった兄弟の絆を描いている。
本文残り77% (4431文字/5739文字)

茨城県日立市生まれ。京都産業大から2000年大阪本社に入社。
3年間の整理部(内勤)生活を経て2003年にプロ野球阪神タイガース担当。記者1年目で星野阪神の18年ぶりリーグ制覇の現場に居合わせた。
2004年からサッカーとラグビーを担当。サッカーの日本代表担当として本田圭佑、香川真司、大久保嘉人らを長く追いかけ、W杯は2010年南アフリカ大会、2014年ブラジル大会、ラグビーW杯はカーワンジャパンの2011年ニュージーランド大会を現地で取材。2017年からゴルフ担当で渋野日向子、河本結と力(りき)の姉弟はアマチュアの頃から取材した。2019年末から報道部デスク。
大久保嘉人氏の自伝「情熱を貫く」(朝日新聞出版)を編集協力、著書に「伏見工業伝説」(文芸春秋)がある。