【バレー高橋兄弟連載〈2〉】廃部寸前の公立中学を全国大会へ~塁と藍の物語

京都の公立中学に進んだ兄弟は廃部寸前だったチームを全国大会へと導く。弟がひたむきにボールを拾い、兄につなげる。まるでドラマのような筋書きだった。いつしか弟は、兄に追いつき、追い越そうとしていた。高橋塁と高橋藍。兄弟の絆を描く「塁と藍の物語」第2話。(隔週月曜掲載、敬称略)

バレーボール

第3話は6月24日(月)掲載

「同じ競技はやって
欲しくない」母の願い

2024年5月28日、入団会見で兄の塁からのビデオメッセージを見るサントリーサンバーズに加入した高橋藍。幼い頃から兄弟には深い絆があった(撮影・鈴木みどり)

2024年5月28日、入団会見で兄の塁からのビデオメッセージを見るサントリーサンバーズに加入した高橋藍。幼い頃から兄弟には深い絆があった(撮影・鈴木みどり)

京都は今にも雨が降り出しそうな鉛色の空だった。

2024年の桜の開花は例年よりも遅く、数日前にようやく満開になったばかりだった。

インタビューが始まってから40分ほどが過ぎていた。

母の小百合がふと漏らした。

「本当は同じスポーツはやって欲しくなかったんです。

兄弟でやっていると、比べられるから。

全然違うスポーツなら、そうはならないじゃないですか」

それは、子を思う母の素直な思いだった。

運命とは時に、親の思うようにはいかないこともある。ただ、それは決して悪いことではなかった。

小学生の頃にバレーボールと出会った兄弟は、中学、高校と同じ道を進む。

大学は塁が日大で、藍が日体大。1度は離れても、また2人は同じチームで巡り合うことになる。

サントリーサンバーズの入団会見でユニホームを着てガッツポーズする高橋藍

サントリーサンバーズの入団会見でユニホームを着てガッツポーズする高橋藍

5月20日、塁が在籍するサントリーサンバーズは、高橋藍の加入を発表した。

盛大に開かれた入団会見。その席で、塁は弟へビデオメッセージを贈る。

振り返れば、あれは、今から12年前の春のことだった。

小学5年生になったばかりの藍はしくしくと泣いていた。

なぜなのだろう?

この物語は、運命に導かれるように、再び同じチームで巡り合うことになった兄弟の深い絆を描く。

切り込み写真は小学生の頃の塁(左)と藍。近くの公園で鉄棒をネット代わりにして日が暮れるまでバレーをしていた。それが、兄弟にとっての特別な練習だった。塁が中学に進むと、残された藍はバレーを続けていくことに疑問を抱くようになる(写真はイメージです)

切り込み写真は小学生の頃の塁(左)と藍。近くの公園で鉄棒をネット代わりにして日が暮れるまでバレーをしていた。それが、兄弟にとっての特別な練習だった。塁が中学に進むと、残された藍はバレーを続けていくことに疑問を抱くようになる(写真はイメージです)

2024年6月5日、ネーションズリーグの日本対ドイツ ドイツに勝利しファンに手を振りながら引き揚げる高橋藍(撮影・岩下翔太)

2024年6月5日、ネーションズリーグの日本対ドイツ ドイツに勝利しファンに手を振りながら引き揚げる高橋藍(撮影・岩下翔太)

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スポーツ

益子浩一Koichi Mashiko

Ibaraki

茨城県日立市生まれ。京都産業大から2000年大阪本社に入社。
3年間の整理部(内勤)生活を経て2003年にプロ野球阪神タイガース担当。記者1年目で星野阪神の18年ぶりリーグ制覇の現場に居合わせた。
2004年からサッカーとラグビーを担当。サッカーの日本代表担当として本田圭佑、香川真司、大久保嘉人らを長く追いかけ、W杯は2010年南アフリカ大会、2014年ブラジル大会、ラグビーW杯はカーワンジャパンの2011年ニュージーランド大会を現地で取材。2017年からゴルフ担当で渋野日向子、河本結と力(りき)の姉弟はアマチュアの頃から取材した。2019年末から報道部デスク。
大久保嘉人氏の自伝「情熱を貫く」(朝日新聞出版)を編集協力、著書に「伏見工業伝説」(文芸春秋)がある。