【ブルーペナント〈21〉中編】佐藤龍之介「地獄の合宿」ただ一人笑顔「楽しかった」
「ブルーペナント」。
その存在を知っている人はどれほどいるでしょうか。日本代表選手が初めて国際Aマッチに出場した際に「育成年代に特にお世話になった指導者を申告」し、記念となるペナントを作成して贈る日本サッカー協会(JFA)の指導者表彰制度。今回は佐藤龍之介(19=FC東京)のルーツを紹介します。幼稚園から小学時代を過ごしたJACPA(ジャクパ)東京FCの指導者3人に話を聞くと、数々の伝説が明らかになりました。3回連載の中編は出町(でまち)真さん。選手コースに入った佐藤が「伝説の合宿」で見せた驚くべき反応と適応能力の高さについて語りました。
サッカー
◆佐藤龍之介(さとう・りゅうのすけ)2006年(平18)10月16日生まれ、東京都西東京市出身。みどりが丘保谷幼稚園時代にJACPA東京FCのスクールでサッカーに出会う。JACPA東京FCからFC東京U-15むさし、同U-18。高校2年の23年3月にルヴァン杯でプロデビュー。同年8月に16歳10カ月ででプロ契約を結ぶ。25年に岡山へ期限付き移籍し28試合で6ゴールを記録し、ベストヤングプレーヤー賞に選出された。U-17W杯、U-20W杯出場。25年6月にW杯北中米大会アジア最終予選インドネシア戦でA代表デビュー。171センチ、65キロ。
選手コース飛び級入団 年長さんから傑出
佐藤は選手コースに入団してからも飛び抜けた存在だった。JACPA東京FCの選手コースは3年から始まるが、佐藤は小学2年から飛び級で入団。そこから小学4年まで指導した出町さんは衝撃的な出会いを忘れない。
「2年生でセレクションを受けて、飛び級で一緒にやりました。ただ最初に見たのは年長さんだった気がします。年長さんで選手コースのセレクションを受けに来て、それがJACPA史上初のことだった。選手コースは3年生からなので、その時はさすがに入らなかったですけど、普通にやれていた記憶があります」
2年後。小学2年になると、1つ上の学年と混ざって遜色なく、むしろ中心メンバーとして活動するようになった。思い出はいくつもあるが、中でも佐藤が4年の時にあった「地獄の合宿」は濃い記憶だ。
「JACPA恒例でひたちなかの公園の合宿に全学年で行くのですが、その代(佐藤が帯同していた1つ上の代)の生活態度がひどすぎて、3泊4日のうち、ボールを使ったのが3時間だけということがありました。今考えるとなかなか酷なのですが、終わったあとに、彼だけ『楽しかった』と笑顔で言ったのは覚えています。どんな環境でも楽しむ天才なんだなと思いましたね」
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佐藤成Sei Sato
2019年入社。高校野球の埼玉県担当後、文化社会部に配属。社会班として、常磐自動車道あおり運転事件や埼玉県知事選などを取材。
11月から芸能班に配置転換で、放送担当に。日本テレビ、TBSを受け持った。事務所はワタナベエンターテインメントやホリプロ、吉本興業など。
23年5月にスポーツ部へ異動。サッカー班として川崎フロンターレ、湘南ベルマーレ、A代表、U-23日本代表、なでしこジャパンの担当となる。24年1月アジアカップカタール大会、パリオリンピックなど取材。血液型B。