【ブルーペナント〈22〉下編】佐藤龍之介 号泣経て小5で芽生えたリーダーの自覚
「ブルーペナント」。
その存在を知っている人はどれほどいるでしょうか。日本代表選手が初めて国際Aマッチに出場した際に「育成年代に特にお世話になった指導者を申告」し、記念となるペナントを作成して贈る日本サッカー協会(JFA)の指導者表彰制度。今回は佐藤龍之介(19=FC東京)のルーツを紹介します。幼稚園から小学時代を過ごしたJACPA(ジャクパ)東京FCの指導者3人に話を聞くと、数々の伝説が明らかになりました。3回連載の後編は浜辺豊さん。小学5年から2年間、選手コースで指導した中で感じた佐藤の心優しさ、リーダーシップについて語りました。
サッカー
◆佐藤龍之介(さとう・りゅうのすけ)2006年(平18)10月16日生まれ、東京都西東京市出身。みどりが丘保谷幼稚園時代にJACPA東京FCのスクールでサッカーに出会う。JACPA東京FCからFC東京U-15むさし、同U-18。高校2年の23年3月にルヴァン杯でプロデビュー。同年8月に16歳10カ月ででプロ契約を結ぶ。25年に岡山へ期限付き移籍し28試合で6ゴールを記録し、ベストヤングプレーヤー賞に選出された。U-17W杯、U-20W杯出場。25年6月にW杯北中米大会アジア最終予選インドネシア戦でA代表デビュー。171センチ、65キロ。
全国優勝目指した5年時 大会規定に親子で涙
浜辺さんは佐藤が大泣きした小学5年時のある出来事が忘れられない。
佐藤が当然のように1個上の代で中心選手として活躍する中、JACPA東京FCの6年生は当時20人以上在籍していた。するとクラブとして初の決断を下す。全日本少年サッカー大会(現全日本U-12サッカー選手権大会=全小)で2チームエントリーすることを決めたのだった。
Aチームだけ出場すれば、半数近くが試合に絡めない。育成年代にとって良い環境とは言えず、多くの選手に出場機会を与えることにした。
ここで大会規定が佐藤を苦しめることになる。浜辺さんが言う。
「2チーム出すのはOKなんだけど、5年生を1人も入れてはいけないというルールができちゃったんですよ。そうすると龍之介は上の学年でもエースなのに、JACPAの大人の都合で、上の学年で彼が試合に出られなくなってしまった。本気で1個上の代で東京都を取って全国優勝だ、とやっていた中だったので、相当悔しかったと思います。3月ですね。事務所でそれを両親交えて面談で説明して。親子で涙、涙でした」
「辞めちゃうかな」どころか猛奮起! 別大会優勝
もちろんチーム数が多い東京都で他学年出場可能とすれば、大会運営が難しくなることは理解できる。ただ将来の日本代表選手が5年時に大舞台を経験できなかったことはJACPA東京FCの指導者の中でももどかしさが残っているという。しかし、そこからの佐藤のリバウンドメンタリティーが浜辺さんを驚かせた。
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佐藤成Sei Sato
2019年入社。高校野球の埼玉県担当後、文化社会部に配属。社会班として、常磐自動車道あおり運転事件や埼玉県知事選などを取材。
11月から芸能班に配置転換で、放送担当に。日本テレビ、TBSを受け持った。事務所はワタナベエンターテインメントやホリプロ、吉本興業など。
23年5月にスポーツ部へ異動。サッカー班として川崎フロンターレ、湘南ベルマーレ、A代表、U-23日本代表、なでしこジャパンの担当となる。24年1月アジアカップカタール大会、パリオリンピックなど取材。血液型B。