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アジア杯2007特集

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大会の歴史

日本2連覇の足跡

2004年中国大会

日本、苦戦しいられるも連覇達成!

  スコア 相手
1次リーグ ○1-0 オマーン
○4-1 タイ
△0-0 イラン
準々決勝 ○1-1
(PK4-3)
ヨルダン
準決勝 ○4-3 バーレーン
決勝 ○3-1 中国
【準々決勝 日本対ヨルダン】PK戦で大活躍した川口能活(中央)をねぎらう日本代表イレブン
【準々決勝 日本対ヨルダン】PK戦で大活躍した川口能活(中央)をねぎらう日本代表イレブン
優勝カップを掲げ喜ぶ主将のDF宮本恒靖(中央)と日本代表選手たち
優勝カップを掲げ喜ぶ主将のDF宮本恒靖(中央)と日本代表選手たち

 前回大会を圧勝した日本は、この大会でも優勝候補の筆頭だった。だが、中東勢の底上げは予想以上に進んでおり、苦しい戦いの連続となった。

 1次リーグ初戦はオマーン。2004年2月のW杯1次予選の対戦時には1-0で辛勝したが、この試合はさらに苦しかった。前半34分にMF中村俊輔が相手ゴール前でこぼれたボールに反応、突っ込んできたDF2人を右足で軽くかわし、左足首のスナップを利用し、振り払うようにアウトサイドに当ててゴールに入れる技ありの先制弾。だが、後半は日本はシュート3本で、オマーンは11本。数字が示すように防戦一方となった。何とか中村のゴールを守り切って初戦をものにした。続くタイには4-1で勝ち、最後のイラン戦は0-0のドローで、勝ち点7の1位通過を決めた。イラン戦の終盤は引き分ければともに決勝トーナメント進出とあり、自陣でボールを回してお互いに攻めずに時計だけが過ぎていくという状況だった。

 決勝トーナメントは過去に経験のない厳しい戦いとなった。準々決勝のヨルダン戦は1-1のまま、延長でも決着がつかずPK戦へ。ここでMF中村俊輔、MF三都主が続けて外し、ヨルダンは2人続けて成功という大ピンチに陥った。最初の中村俊輔が芝がはがれて足を滑らして失敗したこともあり、宮本主将が主審にサイドを替えるように猛抗議。それが認められてヨルダンの2人目からもう一方のゴールを使用して続行された。日本が4人目までに2人成功し、ヨルダンは3人続けて成功。ヨルダンの4人目が決めれば日本の敗退が決まるというピンチだったが、GK川口が相手シュートを左手ではじいてセーブ。ヨルダンは5人目も外して3-3でサドンデスに入った。日本6人目のDF中沢が外し、再び決められると敗退が決まる場面で、GK川口が今度は右手ではじいてセーブ。結局日本がPK戦を4-3で制して薄氷の勝利を収めた。

 準決勝の相手はバーレーン。人口70万人の中東の小国だが、20代前半の黄金世代を軸に勝ち上がってきたチームは運動量豊富なチームでジーコジャパンを苦しめた。

 前半6分に先制を許し、同40分にはMF遠藤が不可解なレッドカードで退場、10人で戦う苦しい状況になった。いったんは2-1と逆転したものの、後半26分に追いつかれ、同40分にはナセルに決められて2-3とされた。敗色濃厚となった終盤、ロスタイムに入ろうかという後半44分過ぎにMF三都主のクロスにDF中沢が頭で合わせ起死回生の同点ゴールを決めて延長戦へ突入した。

 そして延長前半3分、DF宮本のロングフィードにFW玉田が反応、相手DF3人のマークを振り切り、相手GKと1対1になり冷静に決めて勝ち越し。この1点が決勝点となり、日本は4-3でバーレーンを振り切った。

 決勝戦はホスト国の中国。敵地のブーイングの中、戦った日本代表だが、ここは力の違いが明らかだった。1-1の後半20分、MF中村俊輔のFKにDF中田浩二が体ごと押し込んで勝ち越し。終了間際にはFW玉田が相手DFの裏に抜け出しだめ押しの3点目を決めた。

MVPのプレートを掲げるMF中村俊輔
MVPのプレートを掲げるMF中村俊輔

 4年前のような圧倒的な力を発揮することはなかったが、最後まで勝負をあきらめない精神力の強さで苦しい状況の中、2連覇を達成した。MVPにはMF中村俊輔が選ばれた。

 なお、この大会では中国の観客による日本チームへのブーイングがすさまじく、プレー中だけではなく、国歌演奏時にもブーイングをしたり、さらに日本代表が乗ったバスに投石するなど、文明国家では考えられないような行動に出た。見かねた川口順子外相が「中国のサッカーファンはもう少し考えてほしい。遺憾だ。日中関係の増進にはプラスにはならない」と遺憾の意を表明。また、石原慎太郎都知事は「民度が低いんだからしょうがないね」と批判。サッカーの枠を超えて政治問題化する事態となった。サッカーとナショナリズムは不可分のものとはいえ、ここまで政治問題化するのは珍しく、アジア杯のもう1つの側面を見せる形となった。



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