プレーバック日刊スポーツ! 過去の10月1日付紙面を振り返ります。2001年の2、3面(東京版)は巨人長嶋茂雄監督の勇退セレモニーでした。

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<巨人4-9横浜>◇2001年9月30日◇東京ドーム

 笑顔でファンに別れを告げ、後輩に後を託した。今季で辞任する巨人長嶋茂雄監督(65)が、東京ドーム・ラストゲームの指揮を執った。横浜に敗れたが、引退を発表した槙原、斎藤雅のリレー、村田真とのバッテリー復活を自らマウンド上で演出。試合後のあいさつでは「これからは若い指揮者の下に1世紀に向けてまい進するチームとなります」と語りかけた。場内1周、胴上げと続いたセレモニーでは、笑顔の長嶋監督の周りで原新監督、ナインらが目を赤く染めた。今日1日、最後の試合となる阪神戦(甲子園)に臨む。

 場内を1周しながらファンの顔を見ているうちに、涙が少しずつたまっていた。ホームベース付近に戻ると最後の胴上げが始まる。長嶋監督は過去7度の胴上げと同じように、両手を広げて宙を舞った。最後まで笑顔は崩さない。違うのは、涙の種類だった。

 長嶋監督 93年に2度目の監督を拝命し、巨人ファン、全国のファンの皆さまに温かいご支援、ごべんたつをいただき、あらためて感謝申し上げる次第です。チームは六十有余年にわたる栄光を重ねながら、来季から若い世代の人たちのパワーに託します。我がチームは若い指揮者の下、1世紀に向けてまい進します。これからも我が巨人軍を愛し、球界の発展のためご支援賜りたく存じます。

 午後9時25分。マウンド上でスポットライトを浴び本拠地のファンへの別れのあいさつが始まった。現役引退の時のように名言はない。淡々と、しかし、心を込めて感謝の言葉を並べ、原新監督の下に再出発するチームへの支援を訴えた。58年のプロ入り以来、ファンの期待にこたえるために演じてきた「長嶋茂雄」から離れ、巨人を愛し、野球を愛す1人の男に戻るためのセレモニーだった。

 「勝って終われれば良かったんだけど。しょうがないよ、勝負だから」。今季の象徴である投手陣の崩壊で、有終の美を飾ることはできなかった。試合終了直前は、まるで、大一番に負けたかのように怒っていた。「勝負事は最後まであきらめたらダメ。昔はげたを履くまで分からないと言ったが、今の時代は家に帰ってふろに入るまで分からない」。勝負師としての哲学は最後まで貫き通した。

 グラウンドを去る時、もう1度帽子を脱ぎ、ファンに手を振った。たまった涙ととびきりの笑顔は、ファンへの感謝、そして悔いのない野球人生のしるしだ。「気持ちは割合すっきりしていました。しこりを残してユニホームを脱いだ時(80年の監督解任)と比べ、ファンの皆さまにも納得していただけたと安どしてます」。長嶋茂雄の周辺には常に輝きとドラマがあった。しかし、引き際は、白い波がゆっくり沖に引いていくような、自然体だった。『1つの時代は終わったが、引きずらず新しい時代に目を向けよう』というファンにあてた最後のメッセージに思える。今日1日、大好きな甲子園で栄光のユニホームを永遠に脱ぐ。

※記録と表記は当時のもの