<中日2-8阪神>◇27日◇ナゴヤドーム

 中日ひと筋20年の井上一樹外野手(38)が、現役引退セレモニーで男泣きした。トレードマークのピンクのリストバントを復活させ、阪神戦(ナゴヤドーム)に6番右翼でフル出場。試合後は両チーム関係者、ファンに見守られて引退セレモニーが行われた。4打数無安打で試合にも敗れたが、周囲への感謝の気持ちを口にし、男泣きした。残り試合でも戦力とみなされており、クライマックスシリーズ(CS)、日本シリーズで最後のひと花を咲かせる。

 泣くまいと誓っていた。それでも井上の涙は止まらなかった。本拠地の3万7000観衆、家族、鹿児島から呼び寄せた両親、そして両チームの選手、首脳陣が総立ちでセレモニーを見守ってくれていた。かつての同僚、阪神矢野に花束を渡された。兄貴分と慕う立浪からも特大の花束を手渡され、肩を抱かれた。歯を食いしばったが、こらえ切れなかった。マイクの前に立っても10秒間、何も言えない。ドラゴンズひと筋20年。誰からも愛された井上の男泣きだった。

 「弱い自分をいつも支えて、助けて、そして励ましてくれたみなさんに感謝します。阪神の方、阪神ファンの方もセレモニーに立ち会っていただいてありがとうございます。いっしょにプレーしてくれたみんな、ありがとう!」

 ユーモアに富んだ得意のマイクパフォーマンスではなかった。現役を辞める寂しさをかみしめながら、仲間に、ファンに、関係者に感謝した。あいさつが終わると、同僚の、そしてかつて中日で同じユニホームを着た矢野、高橋光の手で5度、宙を舞った。スタンドから「いいぞ、カズキ!」の声がかかった。井上はまた、泣いた。その涙を、右腕のピンクのリストバンドでそっとぬぐった。

 鹿児島商からドラフト2位で投手として入団。満足のいく成績を残せず、94年に野手に転向した。チームプレーをたたき込まれる中、たった1つの自己主張がピンクのリストバンドだった。「最初はどうやったらファンに覚えてもらえるかと思ってね。名前の一樹の一をピンと読むと、ピンキーと読めるじゃない。これがオレの色だと思った」。ここ5、6年封印していたこだわりを、最後だからと復活させていた。

 愛されキャラだった。06年に選手会長に就任。ファンサービス部長としてさまざまなイベントを球団に働きかけ、実現させた。同年リーグ優勝すると、同僚にラスベガス旅行参加を呼びかけた。にもかかわらず自分のパスポートを紛失し、チャーター便に乗り遅れた。そんな天然ぶりもまた、憎めなかった。今季はほぼ1年間2軍暮らし。「さすがのオレもへこむよ」と漏らしたこともあったが、若手に深刻な顔は見せなかった。

 この日は4打数0安打に終わった。阪神岩田に3打席凡退し、9回先頭の第4打席も筒井の前に二ゴロに倒れた。通算79本塁打の打棒は発揮できなかった。それでもまだ、CSがある。日本シリーズもある。落合監督は「今日はカズキに聞いてやってくれ。贈る言葉?

 まだ選手だ。この先がある」と話した。もうひと花咲かせ、最後の最後は爆笑マイクパフォーマンスで締めくくる。【村野

 森】

 [2009年9月28日11時28分

 紙面から]ソーシャルブックマーク