<オープン戦:DeNA3-2西武>◇11日◇横浜

 西武中村剛也内野手(28)が、DeNA戦(横浜)で復興アーチを狙い打ちした。東日本大震災からちょうど1年にあたる「3月11日・午後2時46分」。球場全体で黙とうをささげた直後、オープン戦1号を放った。7回無死で、高崎の初球カーブを左翼席へ運んだ。日本代表の4番としても存在感を示したおかわりくんが、代名詞の1発に復興の願いをこめた。

 狙ってもできない芸当を、中村はやってのけた。震災から丸1年。黙とうをささげた直後、7回の先頭で打席が回ってきた。「黙とうの時間が少し早まって(震災が起こった)そのくらいの時間だと思ったので、三振かホームランと思って狙いました」。胸に秘めた思惑通り、左翼席中段に打球を運んだ。その時、横浜スタジアムの時計は、日本の運命を変えた「午後2時46分」を指していた。

 同じ日、同じ時刻に、代名詞の1発。打った瞬間に本塁打とわかる打球には「ちょっとでも元気、勇気というのを見て、思ってもらえれば」と願いをこめた。麻里恵夫人の実家が仙台にあり、被害状況などを聞く機会は多い。黙とうでは、目を閉じ「すごい恐怖心があったんだろうな。まだまだ復興できてない。僕にできることがあれば」と念じたその数分後、思いを形にした。

 偶然のひと言では片付けられない勝負強さがある。家族の記念日には、めっぽう強い。麻里恵夫人の誕生日・9月10日は昨年まで4年連続弾。結婚1周年の09年7月8日には、ダルビッシュから1発を放った。第1子が誕生した同年7月22日にも祝砲を放ったが、自分の誕生日となるとプロ10年で本塁打は1度もない。自分のことには無頓着でも、「家族のため」には信じられない力を発揮する。家族を思うように、震災で傷ついた人々を思い、フルスイングした。

 前日10日は日本代表で4番を任され、2安打1打点と見せ場をつくった。これからは「日本の4番」の看板を背負う立場で「そういう目で見られると思う。昨日の後の今日だったので、ぶざまなバッティングはしたくなかった」とアドレナリンを噴出した。今年の正月、1年の目標を一文字で「喜」と書いた。「日本中が笑顔に満ちあふれるような、そういうのをつくりたい」。球界を代表して、プロ野球の存在意義を、震災1年のピンポイントアーチで届けた。【柴田猛夫】