<広島3-2中日>◇26日◇マツダスタジアム

 広島広瀬純外野手(34)が、15打席連続出塁のプロ野球新記録を樹立した。中日4回戦(マツダスタジアム)の8回無死一塁で、低めの球を中前にはじき返した。21日の巨人戦(同)の第4打席で放った中前打から始まり、今季初の1試合4安打で快挙を達成。右手骨折で戦線を離脱したエルドレッドに代わる、「新4番」が球史に名を刻んだ。

 一塁ベース上で、ようやく白い歯を見せた。8回無死一塁で迎えた第4打席。広瀬は「こんな機会はないし、少し狙おうと思った」と欲を出した。2ボールから3球目、武藤の低め直球をすくい上げると、打球は中前の芝生の上で水しぶきを上げ弾んだ。15打席連続出塁の日本記録が生まれた瞬間だった。

 「僕もワクワクしていました。(記録は)知っていましたけど、(山本)浩二さんの記録(10打席)を抜いた時点で気負いは無くなっていました。すごいことをしたなと思うけど、それよりチームが勝てて良かった。僕の記録は、みなさんの酒のツマミにでもしてくれれば満足です」

 15打席連続出塁のうち、死球が3つ。特徴が出た快挙だ。11年はリーグ最多の14死球を受けた。昨季は死球を受けた右手にひびが入り、痛み止めを飲みプレーを続けた。だが、打率2割4分1厘と低迷しレギュラーの座も失った。死球による故障を避けるためベースから離れて立つようになった。それでも、やまない内角攻めに「ありがたいです」と笑みを浮かべる。

 覚悟を持って臨んだシーズンだ。年始の合同自主トレは後輩の中田、上村、育成選手の山野を含め「おれたち、崖っぷち軍団だから」と自虐的に言った。開幕直後は「左投手専用」での出場が続いた。だから、この日も広瀬は大記録より、試合に出るために結果を求めた。がむしゃらな姿勢を象徴していたのは4回1死二塁の第2打席。追い込まれてから4球ファウルで粘り、10球目のスライダーを左中間にはじき返す先制適時打にした。

 結果を残すために“相棒”も変えた。アシックス製のバットは、920グラムの重量は変えず、昨季よりもバットを約2センチ太くした。「押し込みたいというのもあって、握った感覚が細く感じた」と理由を語る。タイ記録とした第3打席の右前打は、まさに理想とする打撃を体現した一打だった。

 故障者が続出する中、久々に舞い込んだ明るい話題。ドン底からはい上がった、「代役4番」が球史に名を刻み込んだ。【鎌田真一郎】

 ◆広瀬純(ひろせ・じゅん)1979年(昭54)3月29日、大分県生まれ。佐伯鶴城から法大に進み、シドニー五輪に出場。00年ドラフト2位で広島入団。10年に初めて規定打席に到達して打率3割9厘をマーク、ゴールデングラブ賞も獲得した。家族は夫人と1男1女。181センチ、87キロ。右投げ右打ち。

 ▼広瀬が21日巨人戦の第4打席から26日中日戦の第4打席まで15打席連続出塁。93年南渕(ロッテ)03年高橋由(巨人)03年小笠原(日本ハム)の14打席を抜いて連続打席出塁のプロ野球新記録をマークした。この日は4打数4安打で、自身3年ぶりの4安打固め打ちで新記録をつくった。広瀬の出塁は8安打、7四死球。この間に70球を投げさせているが、空振りしたのは25日ヤクルト戦の第4打席で1度(5球目)しかない。連続打数安打も8まで伸び、次は91年レイノルズ(大洋)03年高橋由が持つ11打数連続安打のプロ野球記録に挑戦する。

 ◆大リーグの連続打席出塁は

 近代メジャーとされる1900年以降は、テッド・ウィリアムズ(レッドソックス)が57年9月17~23日に記録した16打席連続が最高。内容は本塁打4、単打2、四球9、死球1だった。