さあ、ここから巻き返す!

 胸椎黄色靱帯(じんたい)骨化症などの手術を受け、休養を続けていた楽天星野仙一監督(67)が24日、現場復帰を果たした。コボスタ宮城で行われた全体練習の前には、首脳陣、選手を集め、熱い言葉を投げかけた。借金14の最下位とチーム状況は苦しいが、浮上へ向け突き進むのみ。まずは今日25日、復帰初戦の日本ハム戦(コボスタ宮城)を勝利で飾りたい。

 いつもの星野監督だった。午後1時12分。親しんだホームグラウンドに、さっそうと現れた。「つえを持って来てくれ」。そうジョークを飛ばし、球団職員からノックバットを受け取った。軽快に外野まで歩き、コーチ陣と言葉を交わす。選手のウオーミングアップを眺め、ケージ裏では各打者をつぶさに見つめる。ベンチに座ると報道陣と談笑する。5月26日に休養するまでの“日常”が戻った。

 変わったこともある。10日ほどの入院生活とリハビリで、体重は89キロから7キロ減って82キロに。「現役の最後のころと同じか。オーバーウエートだったから、ちょうど良かった」と、スリムになった腹回りをたたいた。何より、痛みが消えた。「(手術前と比べ)月とスッポン。早くしとけばよかった」と笑った。この日の練習前も、自宅近くを散歩した。「(術後)1週間は歩くのも痛かった。(医師に)歩け、歩けと言われて、無理して歩いた」。強い意志で乗り越えた。

 グラウンドでは終始、冗舌だった。「いやー、ブラジルは遠かった。日本が負けても、ずっといたから」と、休養期間がサッカーW杯と重なったことを自らちゃかした。ただ、心は熱かった。練習前のクラブハウスでチーム全員に言った。

 星野監督

 過去を振り返るな。これまでのことは忘れて。俺はテレビでお前らのプレーを見ていた。良いところも、悪いところも。まあ、悪いところしかなかったけどな(笑い)。

 そして、こう締めた。

 星野監督

 巻き返す。諦めてないぞ!

 約2カ月の休養で、残されたのは58試合。まずは日本ハム戦から指揮を執る。「プレッシャー、かかるよ。日本シリーズの前の日みたい」と冗談めかしたが、サングラスの奥の目は笑っていなかった。【古川真弥】◆星野監督復帰への道のり

 ▼5月26日

 都内病院で胸椎黄色靱帯骨化症及び椎間板ヘルニアの診断。ヤクルト戦を休養。佐藤投手コーチが監督代行。

 ▼同27日

 休養が長期にわたることが判明。

 ▼同28日

 手術を決意。チームを離れる。

 ▼6月中旬

 手術。数日で退院し、リハビリ開始。

 ▼同25日

 仙台でリハビリ開始。

 ▼同30日

 球宴の指揮を断念。全パ総監督に。全パ監督は佐藤監督代行。

 ▼7月2日

 新たに大久保2軍監督が監督代行に就任。全パ監督は白紙。

 ▼同3日

 パ・リーグの要望を受け、いったんは断念した全パ監督に。

 ▼同12日

 リハビリが間に合わず、最終的に球宴を断念。

 ▼同23日

 球団が24日からの現場復帰を発表。