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第10回西ドイツ大会

王手をかけながら...戦わずして敗れたソ連


 予選に参加した89カ国の中で、W杯出場に王手をかけながら戦わずして敗れた国がある。ソ連だ。イレギュラーな予選方式が皮肉な結果を誘った。

 ソ連は欧州9組1位として、南米3組のチリと西ドイツ行きの切符をかけて戦うことになった。ホームアンドアウエー戦で、73年9月26日の地元モスクワでの第1戦は0-0の引き分け。サンティアゴでの第2戦で雌雄を決するはずだった。だが、幻の一戦に終わる。11日にチリで軍事クーデターが発生。社会主義政権が崩壊し、独裁政権に移行していた。62年W杯決勝の舞台となった国立競技場は収容所として使われ、多くの反体制派が拷問によって死亡。前政権を支持したソ連は、血塗られたスタジアムでの試合を拒否した。FIFAの説得も実らず結局棄権し、W杯切符はチリに与えられた。

 政治問題は本大会でも交錯した。東ドイツは大会前から、西ベルリンにあるオリンピックスタジアムでの開催に反対。西ベルリンは西ドイツの一部ではなく、法的には第2次世界大戦後の米英仏の占領地域であると主張したからだ。一方、西ドイツは「一部であること」を主張するために会場に設定した。

 約40カ国、8億人がテレビにくぎ付けになった抽選会。11歳の少年ランゲ君が、公式国際試合では初めてとなる「東西ドイツ対決」を引き当てた。さらにオリンピックスタジアムでの試合開催に反対した東ドイツが、社会主義政権を転覆させたチリと、同スタジアムで一戦交えることになった。皮肉な運命がW杯の舞台で働いた。

















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