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第11回アルゼンチン大会

オランダはクライフ不在も快進撃


 内戦状態にあるアルゼンチンでのW杯開催に強く反発した1人が、オランダのスーパースター、ヨハン・クライフだった。前回西ドイツ大会で世界中のサッカーファンを驚かせた天才は、軍事政権への抗議を代表入り拒否という形で示した。

 1度は代表からの引退を表明したクライフだが、前回準優勝のオランダが欧州予選で苦戦、プレーオフに回ったことで復帰を決意した。アイルランドを下して本大会出場を決めたが「1カ月という長い大会期間、家族と離れて暮らしたくない」との理由もあって出場を辞退。クライフは高額の出場オファーや圧力にも最後まで首を縦に振らなかった。オランダ代表も一時はボイコットを検討したが出場。決勝でアルゼンチンに敗れたのは皮肉だった。

 トータルフットボールの体現者を失ったオランダだが「飛ぶボール」と言われた公式球の効果もあり、ロングシュート連発で決勝への階段を上った。2次リーグでは前回大会決勝で敗れた西ドイツと対戦。ハーンの25メートル弾は、西ドイツGKマイヤーが更新し続けていたW杯無失点記録を475分で止めた。さらにイタリア戦でDFブランツは、40メートルの距離からGKゾフ(現フィオレンティーナ監督)の守るゴールを破った。前半はオウンゴールを献上した上、交錯した味方GKを交代に追い込んだDFが、汚名返上の1発でスタンドの度肝を抜いた。

 クライフ不在のほか、西ドイツは皇帝ベッケンバウアーが引退するなどVメンバー8人が入れ替わっていた。開幕前には「スーパースター不在」の大会と呼ばれたスター選手の入れ替え時期。ブラジルのジーコ、後に将軍と呼ばれるフランスのプラティニ、西ドイツのルンメニゲ、イタリアのロッシらが南米の地でW杯デビューを果たしている。

















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