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第13回メキシコ大会

大地震から1年傾いていたホテル


 86年大会は当初、コロンビアで行われるはずだった。ところが、経済情勢が悪化していたコロンビアでは開催が困難になり、武装ゲリラによるテロなどの政情不安も加わって、大会を返上した。

 代替開催地にはメキシコのほかに米国、カナダ、ブラジルが名乗りを上げた。米国は著名なキッシンジャー元国務長官が招致運動をしたが、当時のアベランジェ国際サッカー連盟(FIFA)会長の強い意向でW杯史上初めて、2度目の開催になるメキシコに決まった。

 メキシコのテレビ局をはじめ経済界に強い影響力を持つ財界人と、アベランジェ会長との個人的な付き合いでの利害が一致するためにメキシコに決定したというきな臭いウワサが公然と流れていた。70年大会はブラジルがペレを擁して3度目のジュール・リメ杯を獲得して成功していたが、再び2000メートルの高地で開催する不安はあった。

 大会を1年後に控えた85年秋には、メキシコを大地震が襲った。死者、行方不明者を合わせて1万人近くになった。スタジアムは倒壊しなかったが、崩壊する建物は多く、市内中央の一等地と思われる土地は更地になっていた。それも1カ所だけではなかった。高いビルがすき間なく立ち並ぶというイメージはなく、地震から復興中というのが、メキシコ到着の第一印象だった。予約したホテルも傾いていた。日本からの長旅の疲れを取ろうとシャワーを浴びたが、傾いているせいなのか、水の流れが激しかった。再び地震があったら倒れる予感がし、次の日にはホテルを引き払った。大会中、中規模な地震があった。【86年大会取材・黒木博一】

















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