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阿久悠さん尿管がんで死去、70歳

 「北の宿から」「勝手にしやがれ」「UFO」など、数多くのヒット曲を手掛けた作詞家阿久悠さん(あく・ゆう、本名・深田公之=ふかだ・ひろゆき)が1日午前5時29分、尿管がんのため入院していた都内の病院で死去した。70歳。兵庫県出身。ジャンルを問わず5000曲以上を作詞し、70~80年代に昭和歌謡の黄金期を築いた。葬儀は近親者のみで行い、後日「送る会」を開く。喪主は妻深田雄子(ゆうこ)さん。

 ポップスから歌謡曲まで、ジャンルを問わない活動でヒットを飛ばし続けた阿久さんが、作詞家40周年の節目の年に旅立った。都内の病院でみとったのは妻雄子さんと1人息子の太郎さんで、眠るようにして逝ったという。

 関係者によると、阿久さんは01年9月に腎臓がんを患い、都内の病院で摘出手術を受けた。退院後は創作活動を行いながら、自宅のある伊豆や事務所のある東京を行き来し、通院治療や短期の検査入院などを繰り返していた。ある時期にぼうこうにがんが見つかったが体調は安定。容体が急変したのは先月10日ごろで、緊急入院してそのまま帰らぬ人となった。

 最期の仕事は、今月22日発売の渚ようこのアルバム「ノヴェラ ダモーレ」に「KABUKU」「どうせ天国へ行ったって」の2曲の詞を書き下ろした。「どうせ-」では、死後のことを「どうせ天国なんて 誰もいないから イヤよ」とつづっている。当時、歌手の岩崎宏美(48)が車いすに乗った恩師に「どこか痛いところはあるんですか」とたずねると「痛くないところがないんだよ」と、寂しそうにつぶやいたという。常々「自分には見えっぱりな部分や、強がるところがある」と話し、教え子の和田アキ子(57)が見舞いを申し出ても「元気な姿しか見せたくない」と断っていた阿久さんも、最近は体調不良を訴えることも多かったという。

 阿久さんが作詞家を志す原点は結核を発病した14歳のころ。医者から「激情を抱くと、胸が破れて死ぬ」と宣告され「文書を書くか絵を描くかしかなさそうだ」と心に決めたという。

 作詞家デビューは67年にザ・モップスが歌った「朝まで待てない」だった。その後は、山本リンダ「どうにもとまらない」、森昌子「せんせい」、都はるみ「北の宿から」など、アイドルから演歌までジャンルを問わないヒットメーカーとなった。70年代からは沢田研二と組み「勝手にしやがれ」などをヒットさせたほか、日本テレビの歌手オーディション番組「スター誕生!」の審査員として、ピンク・レディーや山口百恵、桜田淳子を発掘、歌謡曲の黄金期を築いた。

 誰もが口ずさめる名曲の数々は5000曲にのぼる。ペンネームに込められた「悪友」どころか、多くの人々の親友だった。

[2007年8月2日8時14分 紙面から]

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