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松田優作さん ぼうこうガンで急死/1989年11月7日付

1989年11月7日付 1面
1989年11月7日付 1面

 個性派俳優で知れれる松田優作さん(39=本名同じ)が6日午後6時45分、ぼうこうがんのため死去した。松田さんは公開中の米映画「ブラック・レイン」にマイケル・ダグラスとともに出演、第一線で活躍中だった。がんとの闘病は2年前からで、除去手術にも成功していた。先月5日の同映画のパーティーには体調を崩し欠席、都内の病院に緊急入院したが、ついにかえらぬ人となった。通夜は7日午後7時から三鷹市の霊泉斎場で。葬儀・告別式は8日正午から同所で行われる。喪主は妻・美由紀(みゆき)さん。

 あまりに早過ぎる死だった。所属事務所「セントラル・アーツ」に悲報が届いたのは6日午後7時40分。黒沢満社長が松田さんの入院先の病院へと直行したが、無念の悲しみの対面しかできなかった。

 残されたスタッフも言葉をなくしていた。テレビで遺作となった日本テレビ「華麗なる追跡」は10月7日に放送されたが、9月10日まで元気にその撮影に参加していた。それだけにスタッフも「信じられない」としか言いようがなかった。

 松田さんの遺体はこの日深夜、都内の自宅に帰った。突然、最愛の夫をがんに奪われた美由紀夫人はしょうすいしきった表情。桃井かおり、大楠道代ら松田さんと共演した女優らが続々駆け付けたが、涙の中でだれも言葉にならない。

 夫人に代わり自宅前で記者会見した事務所の黒沢満社長は「とにかく動転していて……。夫人も遺体を安置してある2階の自室にこもったままで、臨終の状況も話せない状態です」と語るのがやっと。

 松田さんの闘病の日々は2年前から始まっていた。ぼうこうがんの疑いで除去手術をし、これが成功したものとみられていた。しかし、病魔は日本で数少ない個性派俳優の体をむしばみ続けていた。

 8月中旬ごろから腰痛を訴え始めた。それでも仕事だけは弱音をひとつも吐かずに取り組み続けた。そんな松田さんが仕事をキャンセルしたのは10月5日、最後の映画出演作品となった「ブラック・レイン」のパーティー、完成試写後のあいさつ。あまりにひどい腰痛のためだったが、黒沢社長は「我慢強い男で、相当痛かっただろうに、一度も弱音を吐かなかった」としのぶ。

 最後をみとったのは、美由紀夫人と子供。臨終に間に合わなかった黒沢社長は「10年間一緒にやってきたが、妥協しないで仕事に対し続けてきたのに悔しいだろうと思う」。 師と仰ぐ映画監督の森田芳光氏、後輩としてかわいがった中村トオルらが深夜相次いで弔問に訪れた。自宅内からは「優作さん、起きてくれ」という悲痛な男性の叫び声も聞こえ、仲間に慕われた貴重な個性派俳優の急遽の無念さが閑静な住宅街に響いていた。

[1989年11月7日付]



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