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松田優作さん、がんを知っていた/1989年11月8日付

1989年11月8日付 1面
1989年11月8日付 1面

 個性派俳優・松田優作さん(享年39=本名同じ)のぼうこうがんによる急死から一夜明けた7日、その壮絶なまでの生きざまが浮き彫りとなってきた。松田さんは昨年9月にがんの告知を受けながらも、美由紀夫人(28)に隠し続け、夫人も病名に気付きながらも明るく振る舞ってきた。遺作となった映画「ブラック・レイン」の完成にすべてをかけた結果だった。東京・三鷹の霊泉斎場で営まれた通夜には800人を超す関係者が参列した。葬儀・告別式はきょう8日正午から、同所で行われる。

 勝新太郎、吉永小百合ら日本の俳優を代表する顔ぶれがズラリと、通夜にそろった。800人を超す参列者。どの顔もあまりに突然の松田さんの死にこわばり、口を突くコメントも憤りにも似た悲しみの言葉ばかりだった。池上季実子は「バイオリンの弦のようにいつも張りつめ、美しい音を出す人でした。あんなにすばらしい人が39歳で亡くなるなんて、残酷すぎます」と唇をかみしめた。

 ひきもきらぬ弔問客が続く中、美由紀夫人の時折笑顔さえ見せる気丈さが際立っていた。焼香の時には3人兄弟の一番下の女の子(2)を左手で抱き上げ、二人の男の子(6歳、4歳)を連れ立ち上がり、父の死を理解しないで笑顔で遺影を見つめる子供たちの頭を、一人ひとり手で押し下げていた。泣き崩れる弔問客には微笑みかける落ち着いた対応さえ見せた。

 むろん、張りつめた気持ちで無理に無理を重ねた姿勢である。松田さんは最期まで美由紀さんにがんの事実を伝えようとはしなかった。「気苦労をかけたくないし、勝負作”ブラック・レイン”の演技にすべてを注ぎたい」。夫のそんな気持ちを察し、本当の病名を知りながらも、気付かないふりをしてきた夫人の”悲しい演技”の延長でもあった。

 松田さんがぼうこうがんの摘出手術に成功。一度はがんを克服したかにみえたのは2年前のこと。ところが公開中の「ブラック・レイン」を撮影中だった昨年の9月27日、尿に血が混じり痛みを感じて都内の病院で検査を受けた。そこでがん再発が明らかになった。診察した医師は「その場でがんを告知しました。松田さんは一度ぼう然としましたが、すぐに女房には絶対言わないでくれ、心配をかけたくない、と落ち着いた口調で言いました」と当時を語る。

 同医師によれば、「この一年間はかなり激しい痛みの連続だったはずだ」という。それでも松田さんは、そんなことを妻の前ではひた隠しにし続けた。所属事務所社長の黒沢満氏は言う。「昨年来、優作は家族の前でも僕らの前でも、”前向き”という言葉をよく使いました。今から思えば、心配をかけまいと必死だったんですね」。一方、夫の明るさの中にも異常を感じ取った美由紀さんは、今年9月28日、意を決して病院を訪れた。そこで医師からぼうこうがんの再発を聞いた。しかし、夫に対してはそのことをおくびにも出さずに、臨終の際まで二人の愛情あふれた”うその交換”は続いた。

 松田さんは、死の瞬間を冷静なまでに待ち受けていた。昨年12月、映画関係者を集め自宅でパーティーを開いた。いつも通り明るく振る舞う夫妻だったが、松田さんのある発言に奇異な感じを受けた出席者もいた。「お経を毎日2時間読んでいるんだ。禅寺にも時々行っているよ」。悟りを開こうとするかのような行動を知っても、それががんと闘う手段でもあり、死を待つ心境を平静に保つものであることは、だれも気付かなかった。

 美由紀さんはこの日の取材にはこたえなかったが、医師は「優作さんは最後まで”世のためになることをしたいなあ”と、家族の前では前向きの姿勢を崩しませんでした」と証言する。

 がんの告知後も、米ニューヨークの撮影現場に復帰した松田さんは、押しとどめようとする担当医に対し、国際電話で「今やっている映画は僕の生涯をかけた作品なんです。最後までやらせて下さい。それよりもずっと血尿が止まらないんです」と訴えかけていたという。その時点で手術をするか、撮影に入って命を縮めるか、選択を迫られていた。文字通り、命と引き換えに撮影した松田さんにとっては、最初で最後のハリウッド映画となった。

 祭壇に飾られた松田さんの遺影は右ほお側から写したもので、その顔はにっこりとほほ笑んでいる。約1年前に雑誌のインタビューで撮影された写真で、生前、松田さんのお気に入りのポートレートだった。戒名は天真院釋優道(てんしんいんしゃくゆうどう)と付けられた。松田さんに別れを告げることを惜しむように、小雨の降る中、参列者は午後10時まで絶えることがなかった。

[1989年11月8日付]



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