<日本生命セ・パ交流戦:中日1-5楽天>◇3日◇ナゴヤドーム
2000安打を達成した中日荒木の妹、宮崎美也子さん(35)が日刊スポーツに手記を寄せた。唯一の兄妹。「もう1人のお父さん」と表現する荒木の優しさを一身に受け、誰よりも近くで野球少年・荒木を見守ってきた。ともに戦った22年間。故郷の熊本・菊陽町からメッセージが届いた。
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お兄ちゃん、おめでとう。たくさんのけがや不調を乗り越えた2000安打。これまでの並みならぬ努力や執念のたまものだと思います。
いつも父とキャッチボールをして遊んでいたね。その姿を見るのは大好きだった。居間でグラブをワックスで磨き、ボールをつかませた状態でそのままソックスバンドでくるんで型つけ。暇さえあればボールやグラブを触り、野球道具を大切に大切に使っていた。
今でも後悔していることがあってね。ある日、父とキャッチボールするからと広場に車で出かけた。「車に乗せてるグラブを取って」とお願いされ、投げて渡そうとした瞬間に「やめろ!」と大声で制止された。もう私の手からグラブは離れ、頭上の木の枝に当たり、アスファルトに落下。その時の兄はものすごいけんまく。どれだけグラブを大切にしているか一番、身近で見ているのに。小学校低学年ながらに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
高校受験になると、どうしても熊工(熊本工)で野球がしたいと何時間も部屋に閉じこもり、人が変わったように勉強に打ち込んだ姿を覚えている。私の部屋からベランダ越しに見える兄の部屋の明かりが深夜まで消えることはなく、眠る前にささやかながら合格するよう何度も祈った。入学してからは、高校まで片道13キロの自転車通学だったね。
お兄ちゃんはもう1人のお父さんのような存在だと思う。4歳差。異性ということで子どものころはまともに相手にされなかったけど、私の欲しい物はいつも譲ってくれた。当時は私のこと嫌いなのかなと思うほどクール。でも寒い冬は部屋で一番暖かい場所を無言で空けてくれていたり、おやつを食べるときは必ず私の分があるのかを母に確認してから食べたり。小学校のときは怒りながらも算数を教えてくれたね。言葉少なめの兄なりの優しさでした。
今でも名古屋に行けば、食事するお店からタクシーの予約まで全てしてくれて。「大丈夫か」「行けたか」と電話で心配してくれる。昨年4月の熊本地震では1番に連絡をくれたね。車中泊になるから「車にガソリン入れておけよ」と。余震が続き、小さな子ども3人を抱え車の中で寝泊まりする中、兄から2リットルの水が1000本。缶詰も大量に送られてきた。トラックいっぱいの物資は私たち家族だけではなく、近所の人たちも助かりました。ありがとう。
早いもので入団から22年。これまでつらいことや苦しいこともあったとは思うけど、そういう姿は一切見せず、熊本に連絡をしてくるのは今も昔も変わらず調子がよく元気なときだけ。入団から数年たって1軍のベンチにいる姿がテレビに一瞬映るだけで両親と大喜びしたことを思い出します。
ただの野球好きの少年がこのような記録を達成できたのは、数々の素晴らしい出会いのおかげではないかと思います。兄への祝福の気持ちとともに、これまで携わっていただいた皆さま、そしてどんな時も心から応援してくださるファンの皆さまにこの場を借り、深く感謝申し上げます。