【右投げ左打ちの功罪〈8〉】絶滅危惧から急増…イチロー、松井と同じ70年代生まれ

右投げ、左投げ。右打ち、左打ち。4象限に分類して日米100傑を比較すると、ある時代を境に顕著な傾向が出てきました。

その他野球

★毒島、リー、若松

ここまで、日本のトッププロはメジャーに比べ、左打者が多い理由を考察してきた。特筆するべき背景は、日本球界だけ、右投げ左打ちが異常なほど多いことが挙げられる。

その要因としては、高校時代までに右打者が育ちにくい環境や指導があり、俊足選手が左打者に転向する傾向が強いことがある。

これ以外に左打者が多い原因として「憧れの選手」に右投げ左打ちの打者が多いことが挙げられるのではないか?

昨年、メジャーで大活躍した大谷翔平を筆頭に、近年現役を終えた超スーパースターのイチロー、松井秀喜が右投げ左打ちだった。

そこで、アメリカと日本で、歴代の安打数と本塁打数のトップ100を比べてみよう。

意外にも、歴代で比べると、日米の比率には逆転現象があった。一番大きく違うのは、日本の安打数トップ100で、右投げ右打ちが58人もいること。

安打数は左打者の方が有利で、メジャーでは左打ちの合計が50人。右投げ右打ちを11人も上回っている。

ところが、日本での左打者の合計は38人で、右打者より20人も少なかった。

本塁打は、後ろにある利き手で打球を押し込める右投げ右打ちが有利。ここでも日本が、メジャーを9人も上回っている。左打ちの合計は30人。右投げ右打ちが39人上回り、左打者を大きくリードしている。

近年だけの比率を見れば、右投げ左打ちの打者が多い日本だが、歴史的な視点から比較すると、メジャー以上に右打者が活躍している。

日本球界では右投げ左打ちの打者が急増し、右打者の比率が減っているが、これこそが異例中の異例の現象だといえるだろう。

日本では、いつごろから右投げ左打ちが急増したのか。

トップ100の記録を、今度は生年月日に分けて比較してみた。

右投げ左打ちで最初に安打数トップ100入りしているのは、1935年生まれの毒島章一で1977安打。1930年代生まれまでは、右投げ右打ちが14人。左投げ左打ちが4人ランク入りしていることを考えれば、右投げ左打ちの打者がどれだけ少なかったかが想像できる。

1969年4月6日、毒島章一の打撃

1969年4月6日、毒島章一の打撃

同じように、右投げ左打ちで最初に本塁打数トップ100入りしているのは、1947年生まれのリー(283本塁打)と若松勉(220本塁打)の2人。

プロを中心とした野球報道が専門。取材歴は30年を超える。現在は主に評論家と向き合う遊軍。
投球や打撃のフォームを分析する企画「解体新書」の構成担当を務める。