「智弁といえば和歌山」に終止符の功績 憧れの強豪に/岡本和真あすなろの記〈5〉 

巨人の岡本和真内野手(26)が、9月24日の中日戦(バンテリンドーム)で5年連続30本塁打をクリアしました。巨人では19年連続の王貞治、7年連続の松井秀喜に続く3人目。球団の右打者では初の記録です。プロ入り前の岡本を見守ってきたのが、智弁学園(奈良)の小坂将商監督(45)。中学1年の原石に一目ぼれし「こういう選手を育ててみたい」という一念が通じ、「智弁学園・岡本」は誕生しました。人並み外れた技術と体格を備えながら、人より目立つことを何より苦手とした少年が、老舗球団の看板打者に。胎動を追いました。(文中敬称略)

高校野球

米国遠征で痛感 突出した個がチームを変える

2022年は忙しい秋になった。

8月下旬から約1カ月間、小坂はチームを離れ、高校日本代表コーチとして米国で行われた第30回U18W杯に参加。打撃コーチ、三塁ベースコーチとして代表監督の馬淵史郎(明徳義塾=高知)を支え、銅メダル獲得で長い遠征を終えた。

高校最後の夏の甲子園を終えれば、3年生はまた違った顔を見せる。ただいったんユニホームを着れば、野球への情熱、ひたむさきは変わらない。

それが日本代表のユニホームなら、なおさらだ。高松商(香川)の浅野翔吾外野手、大阪桐蔭の松尾汐恩(しおん)捕手、広陵(広島)の内海優太内野手らは、大会で好結果を出した。

天理(奈良)の藤森康淳内野手、九州国際大付(福岡)の野田海人捕手、黒田義信外野手ら、しぶい働きでチームを支えた選手も多かった。技術向上に貪欲で、かわいい選手たちだった。

高校日本代表のコーチに(中央)。強いチームを構築する上で、圧倒的な個の重要性を再確認した=2022年8月30日

高校日本代表のコーチに(中央)。強いチームを構築する上で、圧倒的な個の重要性を再確認した=2022年8月30日

「そういう人間をボンボン、チームから出していきたい。今回、日本代表の大会に行って本当にそう思いました。そういう選手の存在で、チームは変わるじゃないですか」

小坂にとって、指導者としての視野がいっそう広がる米国遠征になった。

12年から14年まで手元で育てた岡本和真は、14年高校日本代表の中心選手だった。

第10回U18アジア野球選手権大会で、打率4割3分7厘、5打点と活躍。準優勝の立役者になった。智弁学園でも高校日本代表でも、チームを背負う活躍を見せた。

21年夏 ついに決勝で実現「学園VS和歌山」 

高校3年間で、岡本が智弁学園に残した功績は大きい。活躍を目にし、智弁学園のユニホームにあこがれて入学した後輩たちが、16年センバツで同校初の甲子園優勝を成し遂げた。

「智弁学園に対する中学生の印象が変わったと思います」

小坂は〝岡本効果〟を語る。エース村上頌樹(阪神)を擁してのセンバツ制覇が、また次世代の中学生を引きつけ、智弁学園は21年夏の甲子園も準優勝。全国レベルの強豪校になった。

夏の甲子園決勝「智弁対決」を終え、記念撮影。「和歌山」と「学園」の格差を埋めた岡本の功績は計り知れない=2021年8月29日

夏の甲子園決勝「智弁対決」を終え、記念撮影。「和歌山」と「学園」の格差を埋めた岡本の功績は計り知れない=2021年8月29日

21年夏の甲子園大会決勝の相手は、智弁和歌山だった。

学校創立は智弁学園が先なのに、智弁といえば智弁和歌山の時代が続いていた。

古代の王国トロイを発見したシュリーマンにあこがれ、考古学者を目指して西洋史学科に入学するも、発掘現場の過酷な環境に耐えられないと自主判断し、早々と断念。
似ても似つかない仕事に就き、複数のプロ野球球団、アマ野球、宝塚歌劇団、映画などを担当。
トロイの 木馬発見! とまではいかなくても、いくつかの後世に残したい出来事に出会いました。それらを記事として書き残すことで、のちの人々が知ってくれたらありがたいな、と思う毎日です。