履正社へ赴任も波乱の滑り出し 曲折の末、部長で全国制覇/大体大・松平一彦監督〈4〉

数奇な野球人生を生き抜き、縁の下の日本一の力持ちになった人がいる。大体大硬式野球部の松平一彦監督(47)だ。神港学園(兵庫)3年春は、1995年の阪神・淡路大震災発生から2カ月後に開催された選抜大会で代打の切り札として活躍。大体大ではエース上原浩治の日米球界を巻き込んだドラフトを主務として経験した。卒業後は教員となり、履正社(大阪)へ。岡田龍生監督(現東洋大姫路監督)との名コンビで19年夏に甲子園の頂点に立った。24年4月から大体大の指揮を執る。経験を生かし、局面ごとに力を発揮してきた名バイプレーヤーの矜持に迫る。

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◆松平一彦(まつだいら・かずひこ)1977年6月22日、兵庫県生まれ。神港学園(兵庫)の捕手、外野手として95年センバツに出場し、8強。大体大では主務として98年の全日本大学選手権に出場。卒業後は履正社(大阪)に保健体育科教員として勤務し、00年から野球部コーチに。01年から野球部長となり、春9回、夏3回甲子園に出場して19年夏は全国制覇。21年に退職し、同4月から大体大野球部コーチに就任。23年秋季リーグで勇退した中野和彦前監督(現GM)に代わって監督を務める。

最初はコーチで履正社へ

【再び甲子園へ】

長年苦楽をともにした監督の岡田龍生がベンチを振り返り、両腕を広げた。野球部長の松平一彦が、グラウンドへの階段を駆け上がる。そのまま、岡田の胸に飛び込んで行った。

19年8月 夏の甲子園初優勝を飾りナインから胴上げされる履正社・岡田監督

19年8月 夏の甲子園初優勝を飾りナインから胴上げされる履正社・岡田監督

2019年8月22日、第101回全国高校野球選手権大会決勝。履正社(大阪)が星稜(石川)を5―3で破り、悲願の甲子園初優勝を成し遂げた。

岡田と松平のコンビが生まれたのは2000年。最初はコーチとして、松平は履正社での指導を開始した。岡田は87年春から、野球部長、コーチ役も兼務しながらチームを見ていた。激務がたたり、95年にはメニエル病で倒れた。エース小川仁(じん)が大阪大会全7試合を1人で投げ抜き、初の甲子園出場を決めた97年夏も、地方大会のベンチにいた指導者は岡田1人。監督、部長の兼任が認められない甲子園は、急きょ野球経験のない教員が部長を務めた。岡田の右腕になりうる人材獲得は、急務だった。岡田と共通の知人がいた縁で、大体大卒業後に教員への道を探していた松平に白羽の矢が立った。

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古代の王国トロイを発見したシュリーマンにあこがれ、考古学者を目指して西洋史学科に入学するも、発掘現場の過酷な環境に耐えられないと自主判断し、早々と断念。
似ても似つかない仕事に就き、複数のプロ野球球団、アマ野球、宝塚歌劇団、映画などを担当。
トロイの 木馬発見! とまではいかなくても、いくつかの後世に残したい出来事に出会いました。それらを記事として書き残すことで、のちの人々が知ってくれたらありがたいな、と思う毎日です。