「嫌われた監督」著者・鈴木忠平が描く勝負の情景〈2〉立浪和義

「嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか」で各賞を総なめにした、ノンフィクション作家の鈴木忠平氏。長くプロ野球の番記者を務めた日刊スポーツ時代より、印象に残る情景を書き下ろしていただきました。11月は14、21、28日と毎週月曜日に公開の「随想録 鈴木忠平」。現在は監督を務める、ミスター・ドラゴンズの現役最終盤を描いた第2話をお楽しみください。鈴木氏がアーカイブ群よりピックアップした、現役ラストの試合で3安打を放ったハイライト原稿も復刻します。

プロ野球

◆鈴木忠平(すずき・ただひら)1977年(昭52)千葉県生まれ。名古屋外国語大学を卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。中日、阪神などプロ野球担当記者を16年間経験したのち退社し、文藝春秋Number編集部に所属。現在はフリーのノンフィクション作家として活動している。「嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか」(文藝春秋刊)でミズノスポーツライター賞、大宅壮一ノンフィクション賞、本田靖春ノンフィクション賞、新潮ドキュメント賞を受賞。最新刊に「虚空の人 清原和博を巡る旅」(文藝春秋刊)がある。

2006年10月4日、広島戦。立浪和義は9回裏、ランナー2人を置いた場面で代打に立つと、サヨナラ打を放った。そして試合後のお立ち台で目に光るものを浮かべた――。

「耐えて勝つ」

立浪が帽子のひさしに、そう記していたのはいつ頃だったか。朧げな記憶をたどると、この2006年シーズン半ばあたりからだったような気がする。18歳で入団してからレギュラーを張り続けてきた。いつしかミスター・ドラゴンズと呼ばれるようになった。そんな立浪がこの年の途中からスターティングメンバーを外れ、ベンチを温めるようになった。「代打の切り札」。聞こえはいいが、プロにとっては土俵際を意味している。守備範囲の衰えにより聖域を剥奪された立浪はそこで生きるしかなくなった。

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1977年千葉県生まれ。名古屋外国語大学を卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。中日、阪神などプロ野球担当記者を16年間経験したのち退社し、文藝春秋Number編集部に所属。
現在はフリーのノンフィクション作家として活動している。「嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか」(文藝春秋刊)でミズノスポーツライター賞、大宅壮一ノンフィクション賞、本田靖春ノンフィクション賞、新潮ドキュメント賞を受賞。
最新刊に「虚空の人 清原和博を巡る旅」(文藝春秋刊)がある。