【指導者編】「いけるなって思う人間がいれば、それは戻す」/西武・渡辺GMの人生

西武のチーム作りの根幹を担う渡辺久信GM(57)。現役時代は最多勝を3度獲得するなど黄金時代を支え、ヤクルト、台湾でもプレー。引退後は西武監督として08年に日本一に輝きました。「ナベQ」の愛称で親しまれる、豪快なエピソード満載の人生を3回連載でお届けします。最終話の「指導者編」。(敬称略)

プロ野球

★2歳、小、中「死にかけた」

のちにプロで最多勝を3度獲得する渡辺久信豪快伝説は、生まれて間もない頃から始まっていた。

「2歳のとき、家の玄関から飛び出しちゃって、家の前で車にはねられたらしい。ウチの母親が今でもハッキリと覚えているって。宙に浮いた俺の姿を。まあでも、俺が悪いよね」

忘れたくても忘れられないだろう。わが子が車にはねられ、宙を舞う姿を。母は時が止まったように無事を願いながら駆けつけたに違いない。

ただ命に別状はなく、プロ野球で通算125勝を挙げるのだから、生まれ持った屈強な身体と、強運は天性のものだったということなのだろうか。

渡辺久信はノーヒットノーランを達成し清原和博に抱きかかえられる。その右は奈良原浩。左は伊東勤捕手=1996年6月11日

渡辺久信はノーヒットノーランを達成し清原和博に抱きかかえられる。その右は奈良原浩。左は伊東勤捕手=1996年6月11日

人生に1度あるかないかの「死にかけた」体験は、1度だけではなかった。

「小学校低学年だったかな。溜池に落ちてね。金網によじ登って遊んでたら、いきなり穴が開いていてドボン。必死に網に捕まって助かったけど。いや~あれは本当に死ぬかと思ったな」

中学時代には部活帰り自転車に乗っていると、後ろからトラックにはねられた。

「いきなり後ろからはねられて、田んぼに突っ込んだんだよ。田んぼだったからクッションになってくれて助かったけど、田んぼじゃなかったらアウトだったね。アレも危なかったな」

★「ノムさん流MTG」で理論化

豪快という言葉がこれほど似合う野球人がいるだろうか。くぐり抜けてきた死線の数が、浮き沈みの激しい野球人生を予感させていたのかもしれない。栄光と挫折。暗転から再浮上。うねりを上げるような波の激しさは、現役晩年にかけてさらに増していった。

14年間所属した西武から、突然の戦力外を伝えられたのは97年11月22日。球団から呼ばれた。その年、プロ入り初めて未勝利に終わっていた。

車での道中「トレード」が頭をよぎっていたが、戦力外だった。西武での通算124勝は、当時球団では最多勝利記録。リーグ優勝10度、日本一6度、それでも引退試合の打診もなかった。

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