【阿部慎之助リマスター版】必然だった禅譲―神宮のクラブハウスで原監督に呼ばれ/Ⅲ

巨人が大きく変わろうとしています。長く監督を務めた原辰徳さんが辞任し、阿部慎之助監督が誕生。大きな人事に伴って、人間関係や立ち位置にも変化が生まれています。大きな転機を迎えた3人の野球人が、日刊スポーツに残した「手記」をリマスターします。最終回は、巨人軍の第20代監督に就任した、阿部慎之助。4年前の現役引退時に寄せた、貴重な作品です。

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◆阿部慎之助(あべ・しんのすけ)1979年(昭54)3月20日生まれ、千葉県浦安市出身。安田学園―中大を経て、00年ドラフト1位で巨人入団。01年に新人捕手でチーム23年ぶりに開幕先発出場し、初打席初安打初打点。04年4月に当時の日本記録に並ぶ月間16本塁打。09年日本シリーズMVP。12年は首位打者、打点王、最高出塁率に輝き、MVP、正力松太郎賞。ベストナイン9度、ゴールデングラブ賞4度。19年引退し、翌年から2軍監督。22年から1軍コーチで、23年はヘッド兼バッテリーコーチ。180センチ、97キロ。右投げ左打ち。

「みんなの気持ちがすごく伝わってきた」

もう、泣いていいですよね。40歳にもなると涙もろくなる。引退を決めた翌日。最後まで泣かないと決めた。勝負の半ばで涙はいらない。

最後の最後まで真剣勝負ができて最高でした。ファンの皆さんにも本当に感謝しています。現役生活、最後の手記にありったけの「ありがとう」を記したい。

球団を挙げて盛り上げてくれた本拠地最終戦の「ありがとう慎之助」の試合、クライマックスシリーズ、今回の日本シリーズを戦う中で、みんなの気持ちがすごく伝わってきた。「1試合でも多く」「最後は勝って送り出したい」日本一には届かなかったけど、全力を出し切れたし、みんなの思いがうれしかった。

プロ1年目だった01年の開幕戦でスタメンマスクをかぶらせてもらった。3日前から39度の高熱が続いた。

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