【祝3周年】羽生結弦さん全文〈上〉Echoes初日「生まれてきて良かった!」の意味
フィギュアスケート男子の冬季オリンピック(五輪)2連覇王者、羽生結弦さん(30)が7月19日、プロ転向「3周年」を迎えました。2022年のこの日、競技会からの卒業と孤高の挑戦を表明。この1年は、単独出演と制作総指揮を手掛けるアイスショー「Yuzuru Hanyu ICE STORY」シリーズ第3弾の「Echoes of Life(エコーズ・オブ・ライフ)」や3年連続3度目の「notte stellata 2025」などを成功させました。
日刊スポーツ・プレミアムでは、昨年12月7日の「30歳誕生日」に続き、仙台市内で記念の単独インタビューを実施。プロアスリート生活3年間で達した「零から一へ」の新境地について語りました。3週連続で「一問一答全文」をお届けします。(以後、敬称略)
フィギュア
◆羽生結弦(はにゅう・ゆづる)1994年(平6)12月7日、仙台市泉区生まれ。4歳で氷へ。2010年に15歳でシニア転向。16年に世界初の4回転ループ成功。SP、フリー、合計の世界歴代最高点を通算19度も樹立。全日本選手権の優勝は6回。新型コロナ禍でカナダ・トロントから帰国した後、地元の仙台で技を磨く。宮城・東北高―早大人間科学部(通信教育課程)。22年7月19日に「決意表明」の会見を開いてプロ転向を表明。翌23年2月にスケーター史上初となる東京ドーム単独公演を実現。172センチ。血液型B。
「零から一になれた」
―プロ転向3周年おめでとうございます
ありがとうございます!
―「GIFT at 東京ドーム」「RE_PRAY TOUR」に続く「Yuzuru Hanyu ICE STORYシリーズ 3rd-Echoes of Life-TOUR」(24年12月~25年2月、全3都市7公演)など、さまざまな挑戦をしてこられました。まずは1年間を振り返っていただけますか
1年間か~。
―長かったですからね。まずは「能登半島地震復興支援チャリティー演技会」(9月)から始まって、ショーでは狂言師の野村萬斎(58)と初共演した座長公演「羽生結弦 notte stellata 2025」が3年連続3度目の開催となりました
そうか、この区切りだと能登から始まるんだ。やっぱり、この1年間を通しては、とりあえず考えて頑張ってこられた中で、とにかく基礎を1回、見つめ直した1年でした。ジャンプはもちろんなんですけど、スケーティングの理論とか、あとは体の使い方の理論であったり、ダンス系であったり、いろいろな基礎を見つめ直して「こういうことが、こんなにも分からなかったんだな」「まだ何も分かっていなかったんだ」っていうことを思わされて。「零から一になれた」みたいな1年間だったな、と思っています。
―ここまでの高水準にありながら、いきなり「零から一」発言は驚きなのですが
「零と一」って結構、違っていて。本当に何も知らない状態で、ただ適当に体を動かして身体能力でジャンプを跳ぶのと、その理論が、ちょっとでも頭と体に入った状態で、それまでの感覚とともにジャンプを跳ぶのと、全く違ったものがありました。まだまだ「使いこなせてる」とは言えないんですけど、道筋というか、今までやってきたことが「ああ、こうやって形になって、でき上がっていたんだな」ということを知る1年間にはなった、零から一になれた気がしますね。
「運動理論としてのアイソレーション」
―「滑る」に「考えながら」を加えられるようになった、と「30歳の誕生日」に合わせた前回のインタビューでも、おっしゃっていました。理論的なこと、体の使い方、何か一例を具体的に言えるとしたら
本文残り70% (2968文字/4215文字)

長野県飯田市生まれ。早大4年時にアメリカンフットボールの甲子園ボウル出場。
2004年入社。文化社会部から東北総局へ赴任し、花巻東高の大谷翔平投手や甲子園3季連続準優勝の光星学院など取材。整理部をへて13年11月からスポーツ部。
サッカー班で仙台、鹿島、東京、浦和や16年リオデジャネイロ五輪、18年W杯ロシア大会の日本代表を担当。
20年1月から五輪班。夏は東京2020大会組織委員会とフェンシング、冬は羽生結弦選手ら北京五輪のフィギュアスケートを取材。
22年4月から悲願の柔道、アメフト担当も。