【カナリア軍団の挑戦】帝京は終わらない 3年生一丸で最高峰リーグの置き土産〈4〉

高校サッカー界の超名門、帝京(東京)。戦後最多タイの6回の日本一に輝くカナリア軍団は、今夏のインターハイ(全国高校総体)で準優勝。その勢いのまま、冬の選手権で13年ぶりの全国出場と日本一を目指した。だが11月5日の東京都予選準決勝で強豪・国学院久我山に敗れ、その目標は断たれた。取材歴40年、帝京の黄金時代を知る荻島弘一記者による密着ドキュメントの第4回。

サッカー

〈サッカー取材歴40年荻島記者が密着:第4回〉

1-1に追いつくゴールを決めたFW斉藤慈斗

1-1に追いつくゴールを決めたFW斉藤慈斗

ビハインドでも「つなぐ」貫いた帝京サッカー

帝京は急がなかった。準決勝、国学院久我山にリードを許したまま、残り時間は10分を切っていた。

それでも、ロングボールに頼ることなく、連動した細かいパスで攻めた。

「つないだ方がゴールできることを、みんな分かっていますから。最後に帝京のサッカーができて、よかったです」

MF伊藤聡太主将(3年)は言った。

惜しい場面は何度も作ったが、結局1点が届かず2-3で敗退した。

「10個目の星を共通の目標に、チームは1つになっていました。インターハイ(総体)があと1勝だったので、選手権で必ずと思っていたんですが…」と伊藤。最後は「期待していただいたのに、すみません」と頭を下げた。

選手に囲まれながら突破をはかるMF押川優希

選手に囲まれながら突破をはかるMF押川優希

試合開始直後から動きは悪かった。いつもの軽快なパス回しができない。

逆に久我山のエースFW塩貝健人(3年)を止められず、先制点を許した。前半終了間際に2-1とリードしたものの、後半さらに足が止まって再逆転を許した。

会場の味の素フィールド西が丘から直線で1キロ強の学校に戻ってから、ミーティングで日比威監督が口を開いた。

「責任は自分にある。コンディション作りに失敗した。申し訳ない」

開始10分で異変に気付いた。体が重たい、動けない。明らかな調整ミスだった。

1984年入社。スポーツ部でサッカー、五輪などを取材し、1996年からデスク、日刊スポーツ出版社編集長を経て2005年に編集委員として現場に復帰。