【ラグビーstory】高校0勝からプロ 引退年に起こしたドラマ…花園、不屈の男/上
ラグビー「リーグワン」で花園近鉄ライナーズが、奇跡的に1部残留を果たした。開幕14連敗から、入れ替え戦で2連勝。残留を置き土産に引退する35歳のフッカー樫本敦は高校時代、1度も試合に勝ったことがなかった。まるで「スクール☆ウォーズ」のような物語。残留へ導いた注目選手を紹介する第1回。
ラグビー
〈リーグワン花園奇跡のドラマ/フッカー樫本敦編〉
35歳樫本敦「スクール☆ウォーズ」のような物語
樫本敦(かしもと・あつし)
1988年(昭63)2月19日、大阪府生まれ。豊中第一中時代はクラブチームで野球をしており、大商学園でラグビーを始める。摂南大では1、2年時はB(2部)リーグで過ごし3、4年時に2季連続で全国大学選手権で8強入りした。10年に近鉄ライナーズ(当時)とプロ契約を結び、1度も他チームに移ることなくチームひと筋で今季限りで現役引退を表明した。ポジションはスクラムの最前列、屋台骨となるフッカー。家族構成は妻と娘3人、息子1人。180センチ、106キロ。
弱小ラグビー部、高校最後の試合は0-102
高校生活最後の秋は、ほろ苦い記憶として刻まれている。
大阪府豊中市にある大商学園ラグビー部でキャプテンを任されていた樫本は、全国高校ラグビー大阪予選の抽選会に出ていた。
まだ残暑が残る時期だった。
強豪ひしめく大阪は、当時も今も3校が冬の花園の出場権を得る。
第3地区は東海大仰星、大阪桐蔭、大阪朝鮮が優勝候補と見られていた。
シード校は2回戦からの登場であるから、1回戦で当たることはない。
「初戦くらいは突破したい」
せめて合同チームでも引き当てたいと、心の片隅で考えていた。
ただ、くじを引いた瞬間、ため息が出るような思いだった。
相手は島本。
公立ながら70年代後半から90年代にかけて計4度花園に出場。SO広瀬佳司、フッカー堀江翔太ら、後に日本代表で中心となる選手を輩出した強敵である。
「しんどい試合になるやろうなぁ」
悪い予感は的中した。
開始早々、次々とトライを奪われる。
「100点以上いかれました。僕らは0点。
それが高校最後の試合。
3年間で1回も勝たんと終わりました」
2005年秋のことだった。
どこのグラウンドだったかは覚えていない。
ただ、向こうが100点以上を重ね、自分たちが1点も取れなかったことだけは覚えている。
次から次へと走り来る相手を、追いかけていたのだろう。
ただ、がむしゃらに。
そのうち何点取られたのかも分からなくなる。
絶望的な差とは、そういうものである。
18年が過ぎた今、記録を探す。
第3地区の1回戦に、その結果は残されていた。
大商学園0-102島本。
まるでドラマ「スクール☆ウォーズ」のような負けっぷりだった。
当時の弱小校のキャプテンがわずか4年後、プロのラグビー選手になろうとは、誰も想像もしていなかった。
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茨城県日立市生まれ。京都産業大から2000年大阪本社に入社。
3年間の整理部(内勤)生活を経て2003年にプロ野球阪神タイガース担当。記者1年目で星野阪神の18年ぶりリーグ制覇の現場に居合わせた。
2004年からサッカーとラグビーを担当。サッカーの日本代表担当として本田圭佑、香川真司、大久保嘉人らを長く追いかけ、W杯は2010年南アフリカ大会、2014年ブラジル大会、ラグビーW杯はカーワンジャパンの2011年ニュージーランド大会を現地で取材。2017年からゴルフ担当で渋野日向子、河本結と力(りき)の姉弟はアマチュアの頃から取材した。2019年末から報道部デスク。
大久保嘉人氏の自伝「情熱を貫く」(朝日新聞出版)を編集協力、著書に「伏見工業伝説」(文芸春秋)がある。
