【ラグビーstory】「歴代最高のキャプテンは同志社の野中や」花園、愛の男/中

奇跡の1部残留を果たした花園近鉄ライナーズには「歴代最高」と評される主将がいる。プロがいる集団には珍しく1軍、2軍の区別はない。主将のフランカー野中翔平(27)は勝つことよりもまず、全員が誇りを持ってチームを愛することを求めた。残留へ導いた注目選手を紹介する第2回。

ラグビー

〈リーグワン花園奇跡のドラマ/フランカー野中翔平編〉 

高校日本一東海大仰星、同志社大でも主将

スクラムを押す野中主将(花園近鉄ライナーズ提供)

スクラムを押す野中主将(花園近鉄ライナーズ提供)

野中翔平(のなか・しょうへい)

1995年(平7)11月17日、大阪府生まれ。小学3年から競技を始め枚方ラグビースクールから東海大仰星中、東海大仰星高へ。3年時には主将として花園で全国制覇。同志社大では3年時に全国大学選手権で4強入りも、主将を務めた4年時は関西リーグで6位に低迷し大学選手権出場を逃した。大学時代は関西学生代表。日本代表経験はない。実家は建築資材を扱うケイロン産業を営み、尊敬する人は祖父昇さんと両親。ポジションはフランカー、NO8。183センチ、100キロ。

「強いチームは作れません。
ただ、皆が誇れるチームなら作れます」

2年前の夏の終わり。

開催が1年延期になった東京五輪が閉幕してもなお、新型コロナウイルスは猛威を振るい、再び緊急事態宣言が全国に広がりつつある頃だった。

新しく水間良武が花園のヘッドコーチに就任。主将に任命されたのが、野中だった。

これを、1度は固辞する。

「社会人でキャプテンができる器ではありません」

数日考える時間をもらい、最終的に出した答えがこうだった。

「僕には、強いチームは作れません。

ただ、試合に出ていないメンバー外の選手が、誇れるようないいチームなら作れます」

その胸中を察した水間はうなずき、彼に託した。

引退するフッカー樫本敦(右、連載〈上〉に登場)とともに笑顔を見せる花園の野中主将(花園近鉄ライナーズ提供)

引退するフッカー樫本敦(右、連載〈上〉に登場)とともに笑顔を見せる花園の野中主将(花園近鉄ライナーズ提供)

「嫌で嫌で仕方がなかった」
仲間にヤジを飛ばすメンバー外選手たち

野中が同志社大を経て近鉄(当時)入りしたのは、今から5年前の春だった。

前年度にチームはトップリーグで最下位の16位となり、下部リーグのトップチャレンジに自動降格していた。

1年目のシーズン。第1ステージこそ7戦全勝で1位となるも、上位陣が争う第2ステージは1勝2敗。

2部の3位で臨んだ入れ替え戦で日野レッドドルフィンズに11-21で敗れ、1部復帰を逃した。

目を覆いたくなるような雰囲気だった。

ふがいない試合が続くと、メンバー外の選手たちが、客席でこう漏らしていた。

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編集委員

益子浩一Koichi Mashiko

Ibaraki

茨城県日立市生まれ。京都産業大から2000年大阪本社に入社。
3年間の整理部(内勤)生活を経て2003年にプロ野球阪神タイガース担当。記者1年目で星野阪神の18年ぶりリーグ制覇の現場に居合わせた。
2004年からサッカーとラグビーを担当。サッカーの日本代表担当として本田圭佑、香川真司、大久保嘉人らを長く追いかけ、W杯は2010年南アフリカ大会、2014年ブラジル大会、ラグビーW杯はカーワンジャパンの2011年ニュージーランド大会を現地で取材。2017年からゴルフ担当で渋野日向子、河本結と力(りき)の姉弟はアマチュアの頃から取材した。2019年末から報道部デスク。
大久保嘉人氏の自伝「情熱を貫く」(朝日新聞出版)を編集協力、著書に「伏見工業伝説」(文芸春秋)がある。