【失敗学 谷川貞治編〈中〉】破産に借金… 追い込まれても心が折れなかった理由

2003年(平15)の大みそかの夜、日本中の視線が元横綱の曙とK-1ファイターのボブ・サップの一騎打ちに注がれました。曙が1回失神KO負けした瞬間最高視聴率は43%。あのNHK紅白歌合戦を上回りました。この社会現象の仕掛け人がK-1の運営会社FEGの代表取締役だった谷川貞治イベントプロデューサー(63)でした。ところが12年にFEGは突然、破産して歴史に幕を下ろします。絶頂を極めたK-1はなぜ消滅したのか。そして、谷川氏は厳しい現実とどう向き合い、立ち上がったのか。現在もプロデューサーとして新時代の格闘技を模索している谷川氏に聞きました。3回連載の中編は「破産に借金……どん底でも心が折れなかった理由」です。

バトル

◆谷川貞治(たにかわ・さだはる)1961年(昭36)9月27日、愛知・名古屋市生まれ。日大法学部卒業後、ベースボールマガジン社入社。91年に『格闘技通信』編集長。K-1のマッチメークなどにも携わる。96年に退社してCS放送の編成局長などを経て、03年にK-1イベントプロデューサー(EP)、同時にK-1運営会社FEG代表取締役に就任。12年にK-1のEP辞任。学生時代は中、高とハンドボール部、大学時代はアメリカンフットボール部に所属した。

■INDEX

【中編】破産に借金……どん底でも心が折れなかった理由

■50歳で人生一変 奈落の底で湧いた感情

■人生の窮地にこそ大事なのは“〇〇力"

■舞い込んだオファー 再起をかけた提案

2011年8月17日付東京本紙

2011年8月17日付東京本紙

■50歳で人生一変 奈落の底で湧いた感情

2012年5月7日、K-1を運営するFEGの破産手続きが開始された。社会現象となった平成のK-1は唐突に崩壊した。

FEGの代表取締役で、すでに前月にK-1イベントプロデューサーを辞任していた谷川貞治氏の人生も一変した。

谷川破産して、競売で家も車もとられました。未払い金の催促の電話があったり、お金を借りに行って、返せなかったり……本当に追い詰められました。それまで人にお金を貸したことはあっても、借りたことなかったから、落ち込んだり、メンタルはやられました。付き合ってきた人たちも変わりました。

50歳で初めて直面した人生の挫折。取り巻く空気はトゲトゲとしたものに一変し、気持ちもめいった。さすがに経済的苦痛はこたえたが、不思議と絶望感はなかったという。

谷川絶望感よりも申し訳なさがすごくありました。K-1を自分たちで終わらせてしまいましたからね。自爆ですよ。ファイター、業者、お金を借りた人たちへの負い目もありました。これから稼いで大金持ちになったらどこかで補填したいという気持ちもあります。10年以上たった今も借りた金は月々返済しています。

平成の格闘技ブームをけん引してきた“K-1の顔"が、家も車もお金も信用も失い、借金も背負った。人の人生は苦難と敗北、不条理に満ちているとはいえ、羨望(せんぼう)の日の当たる場所から一気に奈落へと転落したのだ。しかも人生の後半へと差しかかる年齢での致命傷。大して未来に希望を持つこともできない。卑屈になったり、心がポキンと折れても不思議ではない。しかし、意外なことに谷川氏は天と地ほどの落差にも、辛さは感じなかったという。

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1965年、大分市生まれ。
88年入社。ボクシング、プロレス、夏冬五輪、テニス、F1、サッカー、K-1など幅広いスポーツを取材。アントニオ猪木、マイク・タイソン、有森裕子、高橋尚子、岡田武史、フィリップ・トルシエらを番記者として担当する。
五輪は92年アルベールビル冬季大会、96年アトランタ大会を現地取材。08年北京大会、12年ロンドン大会は統括デスク。21年東京大会は五輪・パラリンピック担当委員。サッカーは現場キャップとして98年W杯フランス大会、02年同日韓大会を取材。
23年1月に退社してフリーに。現在は日刊スポーツの契約ライターのほかNPO法人スポーツネットワークジャパン企画編集委員、東日本ボクシング協会の評議員などを務める