【失敗学 谷川貞治編〈下〉】自問自答せよ 時代のどこに自分たちの役割があるかを

2003年(平15)の大みそかの夜、日本中の視線が元横綱の曙とK-1ファイターのボブ・サップの一騎打ちに注がれました。曙が1回失神KO負けした瞬間最高視聴率は43%。あのNHK紅白歌合戦を上回りました。この社会現象の仕掛け人がK-1の運営会社FEGの代表取締役だった谷川貞治イベントプロデューサー(63)でした。ところが12年にFEGは突然、破産して歴史に幕を下ろします。絶頂を極めたK-1はなぜ消滅したのか。そして、谷川氏は厳しい現実とどう向き合い、立ち上がったのか。現在もプロデューサーとして新時代の格闘技を模索している谷川氏に聞きました。3回連載の下編は「ネット時代への挑戦と試行錯誤」です。

バトル

◆谷川貞治(たにかわ・さだはる)1961年(昭36)9月27日、愛知・名古屋市生まれ。日大法学部卒業後、ベースボールマガジン社入社。91年に『格闘技通信』編集長。K-1のマッチメークなどにも携わる。96年に退社してCS放送の編成局長などを経て、03年にK-1イベントプロデューサー(EP)、同時にK-1運営会社FEG代表取締役に就任。12年にK-1のEP辞任。学生時代は中、高とハンドボール部、大学時代はアメリカンフットボール部に所属した。

■INDEX

【下編】ネット時代への挑戦と試行錯誤

■大谷翔平がいなくても…異種格闘技戦を選ぶ理由

■『巌流島』旗揚げ10年 時代の役割模索

■格闘技のポテンシャルを確信 世界へ

新格闘技「巌流島」がディファ有明で開催。トーナメント準決勝でブラジルのアウレリオと対戦した元大相撲の星風(2015年2月28日)

新格闘技「巌流島」がディファ有明で開催。トーナメント準決勝でブラジルのアウレリオと対戦した元大相撲の星風(2015年2月28日)

■大谷翔平がいなくても…異種格闘技戦を選ぶ理由

2014年、谷川氏はフジテレビからの依頼で、新たな格闘技企画『巌流島』を立ち上げた。格闘技プロデューサーとして再起への第一歩だった。

コンセプトは“異種格闘技戦"。平成のK-1時代に手がけたキックボクシングや総合格闘技とはあえて一線を画した。

谷川昭和の時代にアントニオ猪木さんの異種格闘技戦が大衆を熱狂させました。実は平成のK-1はその猪木イズムが根底にありました。キックボクシングルールなのに出場選手はキックボクサーだけじゃない。異種格闘技戦の平成版をプロレスではなく、立ち技でやったのがK-1だったんです。ヘビー級で、8人による一夜でのトーナメント開催というパッケージが新らしかったからブームが起きた。異種格闘技戦のスタイルを時代によって変えたんです。それを今度は令和の時代にどう広めていくのか、これが一つのチャレンジだと思っています。

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1965年、大分市生まれ。
88年入社。ボクシング、プロレス、夏冬五輪、テニス、F1、サッカー、K-1など幅広いスポーツを取材。アントニオ猪木、マイク・タイソン、有森裕子、高橋尚子、岡田武史、フィリップ・トルシエらを番記者として担当する。
五輪は92年アルベールビル冬季大会、96年アトランタ大会を現地取材。08年北京大会、12年ロンドン大会は統括デスク。21年東京大会は五輪・パラリンピック担当委員。サッカーは現場キャップとして98年W杯フランス大会、02年同日韓大会を取材。
23年1月に退社してフリーに。現在は日刊スポーツの契約ライターのほかNPO法人スポーツネットワークジャパン企画編集委員、東日本ボクシング協会の評議員などを務める