【宝富士 引退会見全文】マツコ・デラックスにも届け 休まず働き続けた「宝」の言葉
元関脇の宝富士(38=伊勢ケ浜)が現役引退と年寄「桐山」襲名発表後の10月2日に、東京・両国国技館で会見しました。2009年初場所の初土俵から休場なしで、歴代6位の連続出場を成した「鉄人」。地元の歴史も背負った16年半の土俵生活は1人だけでは歩めなかったと明かします。師匠、同期の力士、ライバル、家族…。「角界のマツコ」としてファンからも愛されたベテラン力士の会見全文をお届けします。
大相撲
引退し、愛する子どもたちから聞かれたことは
「いっぱい遊べる?」
―引退を決められて、今どんな心境ですか
宝富士そうですね。やり切ったので、すっきりしています。
―心残りはないですか
宝富士そうですね。悔いはないですね。強いて言うなら、最後の場所を全力で相撲を取れなかったのは少しだけ心残りですけど。でも、精いっぱいやったので悔いはないです。
―全力で取れなかったというのは、太もものけがでしょうか
宝富士そうですね。
―引退を決意されるまでの経緯を聞かせていただけますか
宝富士そうですね。千秋楽までやり切って。次の場所で幕下の方に落ちる可能性があったので、自分の中ではやり切ったと思って、次の日に師匠に相談させてもらいました。
―師匠(伊勢ヶ浜親方、元横綱照ノ富士)に伝えた時にはどんな言葉があったのですか
宝富士「お疲れさまでした」と言われてうれしかったです。
―38歳まで現役を続けました。もう少しという思いはなかったですか
宝富士できる限りやりたかったんですけど、どうしても体の方が限界をきたというか。年々、度々けがが増えてきて自分の相撲が取れなくなったので。まあ、「もうここできっぱりやめた方がいいかな」と思いました。
―大学を卒業して大相撲の世界に入って来られた時、この年齢まで現役を続けるというイメージはありましたか
宝富士いや、もう最初は「がむしゃらに関取になって頑張ろう」という気持ちしかなかったので。まさか30すぎて自分がやっているとは思ってはいなかったです。
―先代の師匠(宮城野親方、元横綱旭富士)からは何かお話がありましたか。
宝富士師匠(伊勢ケ浜親方)に相談して、その足で前の部屋の親方のところに行って「引退します」と伝えました。
―どんな言葉がありましたか
宝富士「まだ、やれるんじゃないか」と言われたんですけど、「自分が決めたこと、決めていい」と言われて。「お疲れさまです」とも。
―引退を決めて、家族の反応はどうでしたか
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神奈川県横浜市生まれ。2019年に大学卒業後、地方紙に入社。警察担当記者を経て翌20年から運動部に異動し、アマチュア野球やインターハイ、箱根駅伝100回大会など取材。
24年パリ五輪・パラリンピックでは地元選手を追ったものの、現地取材はかなわず…。しかし、オリンピック関連取材をきっかけに本格的にスポーツ記者を志し、翌25年春、日刊スポーツに転職。高校野球取材で西東京大会を担当後の8月からスポーツ部の一員となった。
サッカー日本代表の森保一監督にあいさつした際には「完全移籍選手」と命名された。趣味は料理と駅伝観戦。自宅で、ぬか床を育てるなど発酵食品が好き。
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