青学大が1度もトップを譲らぬ圧倒的な強さで、往路を連覇した。4区までの3区間で区間賞を獲得しての独走。2分28秒差でタスキを受けた5区の神野大地主将(4年)が、2位との差を3分4秒に広げ5時間25分55秒でゴールした。1区から1位をキープしての往路優勝は東海大以来11年ぶりで、復路も全区間で首位を保てば1977年(昭52)の日体大以来の「完全優勝」。青学大が総合連覇とともに39年ぶりの快挙へ大きく前進した。

 山登り5区の22キロ、ゴールまで1・2キロの最後の給水地点。神野の視界に同期の伊藤弘毅の姿が入った。前夜、寮長としてサポートしてくれた伊藤から「必ず笑顔で給水しよう」とメールが届いた。中盤から発症した右腹の痛みは限界に達している。それでも笑顔をつくり、併走する伊藤へ左手でガッツポーズ。そして懸命に腕を振った。

 苦しい1年を象徴する最後の箱根路だった。箱根湯本までの平地から息苦しく、走りもしっくりこない。山登りに突入すると、両足がつりそうになる。回避しようと、腹に力を入れると、今度は右腹の筋肉がけいれんした。「腹を押さえると、テレビのアナウンサーに“異変です”と騒がれるから我慢していたが限界」と17キロ付近で右腹を押さえた。

 昨年2月に左大腿(だいたい)骨を疲労骨折。2カ月半も走れない。神と呼ばれた重圧、新主将の立場も加わり焦りが募る。復帰直後の6月には右すねを疲労骨折。夏が終わるまで本格練習はできない。実戦復帰した11月の全日本後には左すねにも痛みが発症。11月中旬には両親に「箱根は無理」と弱音を吐いた。

 支えは原監督からの信頼だった。苦しいときも常に「お前は山の適性がある」と前向きな言葉を掛けてくれた。「自分はあきらめかけたのに、監督はあきらめていない」。11月28日から練習を再開。しばらくは練習後に痛みは出ていたが「最後の箱根。ここであきらめたら一生後悔する」と我慢。強い覚悟が伝わるように、12月20日に練習後の痛みが消えた。

 2年連続で山登り5区にエントリーされても自分を信じられない。大会前日は午後9時半にベッドに入ったが、1時間以上眠れない。「1年間苦しんだ。(走る)80分間くらいは頑張れる」と眠ったが、起床1時間半前の午前4時には目が覚めた。

 苦しむ主将にチームメートは激走で応えた。1区から久保田が区間賞で独走態勢を整える。2区の一色は東洋大エース服部勇に食らい付く。3区の秋山、4区の田村は区間賞で2分28秒差をプレゼントしてくれた。重圧を軽減させてくれた仲間を裏切れない。「情けない主将の穴を埋めてくれた」と苦しい時はゴール前の仲間の顔を浮かべて耐え抜いた。

 区間賞こそキトニー(日大)に奪われたが、日本人トップで後続との差を3分4秒に広げてのゴール。両手の人さし指を突き上げたポーズは昨年と同じだったが、みんなで勝ち取った今年の思いはまったく違う。「僕は神様にならなかったが、何とか箱根の神が僕を走らせてくれた」。神はいなくとも、チーム力で青学大が総合連覇に王手をかけた。【田口潤】

 ◆神野大地(かみの・だいち)1993年(平5)9月13日生まれ、愛知県津島市出身。神守中-中京大中京。箱根駅伝は2年時に2区で区間6位。3年時の昨年は5区で1時間16分15秒の驚異的な区間新で初優勝に貢献。山の神を襲名。1万メートルの自己ベストは28分41秒48。座右の銘は「努力は裏切らない」。4月からはコニカミノルタ入社。164センチ、43キロ。

 ◆完全優勝 往路復路では77年の日体大が最後で、6校で計11回ある。中大が6回、日大2回、日体大、明大、早大が1回。往路完全優勝は05年東海大が最後で、7校で計14回。