女子フルーレは、パリ五輪(オリンピック)の団体で日本女子初となるメダル(銅)を獲得したメンバー4人が全員出場した。帰国後、テレビに引っ張りだこの宮脇花綸(27=三菱電機)は8強。大会後の1カ月で「20くらい」のメディアに出演、または収録済みの放送もあり「どれだけ予定が入っても、今月に入ってからは練習を欠かさず続けてきました」と言い訳しなかったが、さすがにピークを合わせた五輪と比べれば精彩を欠き、準々決勝で敗退した。
パリ後の復帰戦。「メダリストが1回戦では負けられないプレッシャーや(パリの会場グランパレのような)大声援という形ではなくても、見られているという緊張感があった」と変化を味わいながら、スーパーシードで2回戦から登場した初戦で15-5、続く3回戦も15-4と格の違いを見せつけた。
準々決勝は岩本鈴菜(日本大)に9-15。祭典1カ月後のベストは突くし「この時機に、会社の方々、この町の皆さん、あるいは全国から応援に駆けつけてくださった皆さんの前で試合ができてうれしかった」と納得した。前日は凱旋(がいせん)セレモニーに参加し、事前合宿地の沼津にメダルを持って帰ってくることができた。
五輪後はテレビ各局を渡り歩き、新聞やネットニュースにも見出しと活字が躍った。「なぜかバラエティーしか(出演依頼が)来ないんですけど」と笑いながらも、東京五輪の後に契約満了で所属先がなくなる不遇も経験しただけに、可能な限りオファーを受けている。
遠征費を稼ぐため、環境を変えるきっかけをつかむため、約2年前には逆オファーした。22年10月21日の日本テレビ系「クイズ!あなたは小学5年生より賢いの?2時間SP」に出演。豊富な海外転戦のキャリアも生かし、見事に全問正解して300万円を手に入れた。
父の信介さんが東大出身で、日本協会の太田雄貴会長(当時)を17~21年に支えた元専務理事。自身は東洋英和女学院中から慶応女子高、慶大という経歴を誇る。勉学に励み、日本トップクラスの受験を突破。ピスト(フェンシングの競技コート)に立てば、オリンピアン。プラス「美人」の枕ことばが離れなくなった今、周囲の活況を、どう本人は受け止めているのか。
「勝敗という結果だけではなく、パーソナルな部分にも注目してもらえるのはうれしいですし、頭脳という部分でも、苦しかった時に行動を起こして300万円を獲得して(五輪予選で海外を渡り歩き)今につながっているので。本当に、いつも言っているんですけど『今しか注目してもらえないぞ』っていう気持ちがあるんです。お正月番組ぐらいまでは頑張り切って、皆さん(の目や脳裏)にフェンシングという競技を焼きつけて、次の4年後まで頭の片隅に『日本のフェンシングって強いんだ』と覚えてもらえるようにしたいなと。今の露出が28年のロサンゼルス五輪での声援だったり、応援しようかなという気持ちだったり、につながると思っているので」
一方で、撮影やイベントに呼ばれても「意外と、というか今のところ、練習を1度もパスせずに両立できています」という。11月から始まる来季、ワールドカップ(W杯)やグランプリ(GP)などの国際大会に向けて「また1年間。次のシーズンは、個人のメダルと団体戦の金メダルを取りたい。これが直近の目標」と再び本格的に剣を握る。
そして4年後へ。既に「目指す」と宣言した。決意したのは、パリ五輪のメダルセッションを終えた表彰式の壇上だった。
「決勝も見て、金メダリストたちを目の当たりにして、壁を感じて。やっぱり悔しくて」
振り返れば、東京五輪はメンバー入りを果たせず、日本代表も若かった。ともに銅メダルを勝ち取った上野優佳は18歳、東晟良は21歳だった。
「強かったけれど、まだ経験がなくて。苦しい状況から、なかなか立ち直ることができないチームだったと思います。でも3年間、悔しい思いを糧に逆転できるチームになれた。22年の世界選手権は3位決定戦で10点リードをひっくり返された経験をして、その悔しさがチームを強くした。そこから23年の世界選手権で銅メダル。そして今年、パリの銅メダルにつながったので(銀、金との差を)次の4年間で突き詰めていきたい」
自分に、自分たちに、可能性を感じている。【木下淳】


